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 恐怖の祝言が終わると僕と橘さんだけ別室へ案内された。
「まだ初夜のお床入りには早いのですが、花嫁衣装は脱いでしまいましょう。帯がきつくて苦しかったのでしょう?額際に冷汗まで浮かべて……」
と橘さんは言った。
「…はい」
としか僕は答えられなかった。
 夕暮れ時におこなわれた祝言の最中に死者を見てしまったなんて言ったら、頭がおかしくなったとでも思われかねない。
 僕だって幽霊なんてそう滅多に見ないのだけど、今日のはよほど強い力を持った霊だったようでまるで生きた人間が祝いの膳の前に座っているかのように見えた。
 痩せ衰えた病人のように見えたその女性はそこに置かれていた遺影と同じ顔をしていた。
 お客様の姉妹や従姉妹の類なのだろうか?
 どことなく面立ちが似ていた。
 やつれているせいで、若いのか?おばあさんと言ってもよい年齢なのか?まったく判別つかなかったけど、なんとなくおばあさんではないような気がした。
 写真と違って幽霊の方は色鮮やかな振袖姿だったのだ。
 振袖は普通は未婚の娘が着る物であるから、若くはないにしても生前はそのような振袖を当たり前に着て過ごした人物のように思われた。
 おそらく未婚のまま亡くなった女性。
 そちらをなるべく見ないようにしていたのだけれども、僕を見てニヤリと笑ったあの顔が忘れられない。
「おまえには私の姿が見えているのであろう?」
 耳から聞こえた声ではなく頭の中に直接響いたあの声にぞっとした。
 あの死者は僕が「見える人間」であることに気づいていた。
 何度も「今すぐ帰りたい」と思った。
 怖い。
 あの死者がいるこの家で二週間も……耐えられない。
「おしろいも落としますからね。お客様がおしろいは落として紅だけさしておいて欲しいとおっしゃってましたから」
 手際良く帯を解き、松竹梅の三つ重ねの振袖を黒白紅の順に脱がせていた橘さんはそう言った。
 僕が一番上に着ていた黒振袖はイマドキの着物のように上の方にまで絵柄は入っておらず、裾模様だけであったけれども金糸銀糸の刺繍の入った豪華なものだった。
 長襦袢も脱がされたら、僕はもう後は和装の下着とかいう腰巻一枚になってしまった。
 畳の上に前屈みに座って胸を隠すようにしながら足袋は自分で脱いだ。
 エステの施術で橘さんには全部見られているのだけど、やっぱり色素を薄くするローションで淡い薄紅色になってしまった乳首を見られるのが恥ずかしくてなるべく隠すようにしてしまう。
 畳の上に僕がきちんと座り直して胸を自分の手で隠したら、老婆が用意してくれたお湯と手拭いで橘さんはおしろいを落としていった。
 先に鬘を取って髪を整えてから、ティッシュで赤い紅も拭ってしまい、橘さんは薬指に京紅を取って僕の唇に塗り直した。
「寝巻きが用意されているので、こちらを着ておいた方が良いのでしょうね。着物の着付けは講習しましたから大丈夫かと思われますが、困った時はこちらのお宅のお手伝いさんにお願いすれば大丈夫ですからね」
「…はい」
「それでは、この寝巻きは自分で着てみて下さい。簡単ですから」
「はい」
 僕はこの家から逃げ出したい気持ちでいっぱいになっていたけど、その部屋に用意されていた着物の寝巻きを自分で着た。
 白絹の寝巻きはひんやりと滑らかに僕の肌をおおった。
 つるつるしたその感触はちょっと動いただけで、
「あっ…」
とおもわず声を発してしまいそうになる。
 たぶん乳首は勃っている。
「あら、やっぱり帯がきつかったのかしら?だいぶ顔色が良くなってきましたよ」
と橘さんに言われて僕は顔が火照るのを感じてうつむいた。
 血行が良くなったのは違う理由からだけどそれは恥ずかしくて言えない。
「こちらにレンタル中のお着物の類はすべてこちらで用意して下さいます。必要な私物は店長の許可を取ってこちらの巾着に入れてありますから」
と橘さんは僕に桜の花の描かれた和装の巾着を手渡してきた。
 一応、中身を確認した。
 ドール用の基礎化粧品と今日使っている京紅、それと一緒に薫先生からもらって飲むようになったバラのサプリメントが入っていた。
 毎日飲み続けなければバラの花の香りの体臭は保てない。
 自分の体からまた男臭い体臭が漂うようになるのが僕は嫌でたまらなかった。
 嫌というよりもはや生理的嫌悪感を感じる。
 それにしてもどうしよう?
 ドール自身がレンタルキャンセルを願い出ることは許されないことになっているのに……でも、帰りたい。
「それでは、私は店長と一緒に帰りますから、二週間のレンタルがんばって下さいね」
と言って背を向けた橘さんの着物の袖を僕はとっさにつかんでしまった。
 驚いて振り向いた橘さんは僕の顔を見て優しく微笑んだ。
「大丈夫ですよ、そんなに不安がらなくても。秋月様がパーティー以外でドールをレンタルするのは珍しいことなのですが、あなたがよほど好みのタイプだったのでしょう。大切に扱ってくれるはずですから水揚げもそんなに不安がることはないですよ」
 そう言って袖から僕の指を引きはがして橘さんは行ってしまった。
 一人残された僕は橘さんの袖をつかんでいたのと同じ形で右手を伸ばしたまま呆然とその場に立ち尽くしていた。(続く)


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