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2015年12月24日

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夏目漱石~奇妙な養子生活と忘れられぬ初恋~ 

夏目漱石は慶応3年(1867)2月9日、現在の東京都新宿区喜久井町1番地で生まれた(本名金之助)

名主の家の五男で8人目の子供で末っ子。父50歳、母41歳の時の恥かきっ子であった。

生後間もなく古物商に里子に出されたため実母の母乳は与えられていない。(1歳未満での里子やら実母の母乳をあまり与えられずに育ったという点は弟子の芥川との共通点である)

実母の乳が出なかっため、漱石は夏目家に女中に来ていた者の乳の出る姉夫婦のところへ里子に出されたのである。(実母ちゑは漱石14歳の時に死去。弟子の芥川の実母も芥川が10歳の時に死去。早くに亡くした実母からの愛情には恵まれなかった師弟のようである)

しばらくして古物商からは戻されたが、明治元年(1868)11月、今度は以前夏目家の使用人であった塩原昌之助、やす夫婦の養子となった。漱石1歳の時であった。

明治2年頃、疱瘡(天然痘)を患った3歳の漱石の顔には傷痕が残り、本人は成長してからあばた面であることをひどく気にしてコンプレックスに思うようになる。(そのため漱石の写真は顔のあばたが気にならないようなポーズで撮影されている。修正をかけている写真ももしかするとあるかもしれない)

知らないの?世の中男と女だけじゃないのは常識だよ!☆電子書籍配信中☆-1912日9月13日夏目漱石

明治7年(1874)、養父の昌之助が未亡人の日根野かつと不義な関係になったため夫婦の間でいざこざが絶えず、その結果養母やすと一緒に一時夏目家に引き取られた。(やすが夏目家の元女中であったためか?)

同年、塩原家は新宿から浅草に引っ越したので、漱石は浅草の小学校に入学(現在とは学制が違う)。この間にやすは離縁、昌之助は内縁関係ではあったが日根野かつとその連れ子のれんと生活を始め、漱石も養父のもとへ帰ることになった。

漱石の父夏目直克は、元使用人の塩原昌之助の後見人のような立場にあったらしく、就職の斡旋をしたこともあったようである。

それにしても、塩原家の当時の複雑な家庭環境へ、一時は養母のやすとともに実家に引き取った漱石を戻してしまったのは、なんとも不可解な点である。

普通はそのような状態の家へ戻すのはやめようと親は思うのではないのだろうか?

漱石の実家の当時の詳しい台所事情がわからないためなんとも言えないが、子供の頃の漱石は実家ではあまり大切にはされていなかったような気がする。

結局、漱石は明治7年の暮れから明治9年の5月頃までの間、日根野かつの連れ子のれんと同じ家に住み、同じ小学校に通ったと思われるのだが詳細は不明である。

ちなみに、れんは漱石より一才年上のかなりの美少女であったらしい。

漱石の初恋の君で永遠の心のマドンナは、日根野れんであったのではないかと私は推測している。

漱石のようなまじめな人物は、まわりがあきれ返るくらい一途なのである。

まじめだからこそ、片想いでもびっくりするくらい長い間想い続けることができる超ロマンティストにもなれるのである。

ところが、明治9年(1876)の11月頃、実父の夏目直克と養父の塩原昌之助は昌之助の就職問題をめぐって大喧嘩をし、怒った直克はなんと籍はそのままにしておいて塩原姓のままの漱石を自分のところへ引き取ってしまった。

しかし、漱石はそのあともしばしば塩原家へ出入りしている。

れんに会いたくてなにかと口実作っては、漱石は塩原家を訪ねて行ったのではないかと思われる。

塩原昌之助が自分の老後の生活の安定のためには、漱石とれんの二人が結婚してくれれば好都合だと考えていた節があり、漱石も無意識のうちにれんは自分の許婚者であるという気持ちを抱いていたかもしれない。

明治12年(1879)、13才のとき東京府第一中学校(現日比谷高校)に入学した。この第一中学校を中退、その後二松学舎、成立学舎を経て、明治17年(1884)、18才のとき東京大学予備門予科(明治19年、第一高等中学校と改名)に入学した。

本人の漢文学・文学を学びたいという目的により第一中学校は自主退学して漱石は二松学舎へ通っていたのだが、長男の大助の反対によりこのような中退と入学を繰り返すこととなった。

この間、明治14年に母親のちゑが死去している。

おそらく実母の死により漱石は一時的なうつ状態に陥ったりもしたのではないかと思われる。

明確な証拠となりうるエピソードがないため、なんともいえないが、その後、ほとんど首席の成績を収めたという漱石の優秀さを伝える記述が残っているため、ここで新たな疑惑が出てくる。

漱石は軽躁状態による調子の良さによってうつから脱していたのではないのだろうか?

一般的に漱石が病んだのはイギリス留学がきっかけのようにいわれてはいるが、兆候は早いうちから時折出ていたものと私は思っている。

神経衰弱、神経症、うつ病、分裂病圏の病気、躁うつ病といった病名を漱石の場合はあげられているが、私は漱石は神経症と躁うつ病を合併して患っていたのではないかと疑っている。

可能性としては、最初にうつ状態に陥ったのは実母の死後、次は失恋時になにか異変があったと考えられる。

明治19年(1886)、漱石は成績不良のため進級することが出来なかったという説と、病気(虫垂炎)で入院したため進級試験が受けられずに落第したという説がある。

頭のいい秀才であった漱石は下戸で堅物であったから、落第理由としては後者の方が信憑性は高いと思われる。

しかし、もしも本当に一時的にでも成績が落ちた時期があったのならば、精神的ショックにより勉強が手につかないような状態に陥ってしまったことも考えられる。

その勉強が手につかなくなるほどのショックな出来事とは、漱石が自分の許婚者と思い続けてきた日根野れんの結婚が考えられる。

ちょうど明治18年か19年あたりにれんは結婚しており、漱石はこの時に大失恋している可能性があるのである。

大学を卒業して就職したられんと結婚するつもりでいたであろう漱石には、自分がまだ学生のうちに義父塩原昌之助(まだこの時は漱石は戸籍上は夏目に戻ってはおらず塩原姓のままであった)が目先の利益を取って、夏目家よりも富裕な家庭の陸軍軍人平岡にれんを嫁がせてしまったことはかなりショックな出来事だったのではないのだろうか?

塩原昌之助は日根野かつとは内縁関係であり、れんとも養子縁組はしていなかったはずなので、そういう身上では正式な結婚は平岡の身内には認められず、おそらくれんの美貌に魅かれたであろう平岡は内縁関係での結婚という形を取り、れんの養家である塩原家には経済的援助をする約束をしたのだろう。

漱石の心のマドンナであったと思われるれんは、陸軍中尉平岡周造と結婚(内縁関係)したが、勉強好きで結婚生活をしながら高等女学校(現御茶ノ水大学の前身)を卒業したというのだから、平岡の家が経済的に裕福な家であったことは窺い知れる。

結婚後は夫の任地にしたがってれんも東京を離れたが、再び東京に戻った時に偶然井上眼科病院で漱石と再会したということになっている。

しかし、このれんとの再会は石川悌二説によるものであり、漱石が井上眼科病院で会ったという女性とその恋については諸説がある。

密に許婚者とも思っていたれんが他の男と結婚したため、漱石は厭世家となりその悩みを後に親友の正岡子規に書き送ったりしている。

養父の塩原から「おまえは(れんと)結婚して塩原の家を継ぐんだぞ」といったようなことをそれとなく遠まわしにでも言われていたのだとしたら、漱石の方からしてみればれんの結婚は塩原に裏切られたようなものである。

本人たちの間でそのような約束はなかったにせよ、塩原の家では漱石とれんが結婚することは塩原と漱石の間では暗黙の了解的な事柄であっただろうから、裏切られた漱石の失望の深さが次第に厭世思考へとつながっていったとしても不思議はない。

子供の頃から10年以上、人生の半分以上を「将来はれんと結婚するもの」と養父の塩原の思惑により漱石は思い込まされてきたのだろうから。

明治21年(1888)、1月に今まで放置されていた漱石の戸籍が塩原から夏目姓に戻されたのは、同年9月の第一高等中学校本科第一部入学前に出来のいい息子を夏目家に戻しておこうという実父直克の配慮というよりも、養父の塩原がまじめで出来のいい漱石を利用しようとすることを防ぐためにおこなわれた緊急措置とも考えられる。(戸籍自体は、勉学で優秀な漱石が徴兵検査で甲種合格し出兵することになるのを防ぐために、漱石がまだ塩原姓であった明治19年に北海道へ本籍地の移動をしている)

大喧嘩の後、対立関係にあった養父の塩原と漱石の実父がなんとか話をつけて漱石を夏目姓に復籍出来たのは、れんが嫁いだことによって一時的に塩原の懐具合が良くなっていたためとも考えられる。

しかし、夏目姓に戻っても朝日新聞社へ入社して漱石は職業作家の道を歩むようになってからは、養父の塩原に金の無心などをされた。

塩原が金の無心をしてきた時期的にれんの嫁ぎ先の平岡から金が入らなくなったことが考えられるが……。

ところで、れんとの再会後も、自分の恋心を打ち明けることが出来ずに煩悶しているうちに漱石の松山行きが決まったのだとしたら、不義(不倫)覚悟で想いを告げることは出来なかったのだろうか?

それとなくれんに振られたと漱石が感じるような事柄がなにかあったのか?

松山に行ったあたりで漱石は「もうあきらめよう」と思ったに違いない。

なぜなら、親戚に勧められておとなしく見合いをしているからである。

れんは明治41年6月2日に41歳で死去しているが、年齢的に病死か?(漱石が恋したといわれている女性はほとんどが早くに亡くなっている)

その直後に書かれた漱石の作品には「文鳥ー五」、「永日小品」の中の「心」などがあり、その他漱石とれんとの交渉を窺わせるものとして「一夜」、「それから」、「門」、「道草」、「彼岸過迄」、「趣味の遺伝」等が挙げられている。

けれども、まじめで堅物でありながら、潔癖なロマンティストでもある漱石が、実際には初恋で憧れのきみであったれんを不義で穢すことなどできるわけがなく、れんは漱石の永遠のマドンナのままあの世へ旅立って行ったとも考えられる。

れんへの積年の恋情を昇華するために、漱石はれんの死後書きまくるしかなかったのではないかと思われる。

10年、20年、30年経っても…死んでも忘れられない、そういう人に出会ってしまったら心の中のその人の幻に恋し続けることになる。

漱石にとってれんはそういう存在だったのかもしれない。

他にも、心ときめかせてしまう女性に出会ったりもしただろう。

それでも、秘めたる恋に終わらせてしまったのは漱石らしい。

愛媛の松山へ行ってから見合いで出会った中根鏡子と婚約し、翌年新たな赴任先の熊本で結婚したのはれんへの未練を断ち切る意味合いもあったように思われるが、漱石はやはりれんのことを忘れられなかったようである。

漱石にとってれんはファムファタールであったのかもしれない。

心の奥底にれんへの消えない恋情を隠して結婚してしまった妻の鏡子夫人に対して申し訳なく思いながらも、妻に対する言葉は気持ちとは裏腹に、

「俺は学者で勉強しなければならないのだから、お前なんかにかまっては居られない。それを承知してゐて貰ひたい」

とそっけない漱石であったが、結婚後は体の関係のある不義だけはしなかったように思われるし、誠実な夫であろうと努力もしていたようには思われる。

その代り、漱石の欲望は違うところへ向かっていったため健康を損なうこととなったのだが……(続く)


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