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『鬼畜の戯言』菊池乱☆出版社の倒産により現在電子書籍配信ストップ中

秘密クラブからレンタルされる豊胸女装美少年レンタルドールシリーズ(SF/SM/BL/ML/JUNE/GID/女装/TS/etcな小説)言論と表現の自由を守ろう!不当なネット規制反対!不適切な規制は解除すべきです!!

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2015年12月24日

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光源氏はバイセクシャルだった!? 

源氏物語といったら光源氏のプレイボーイっぷりが有名なのですが、実は光源氏は男にも手を出していたのです!

人妻の空蝉に強引に手を出した源氏の君はその弟の小君を空蝉に再度近づくための布石にしようとして引き取りました。

ところが、小君がなまめかしい風情の上品な少年であったためすっかり気に入ってしまい源氏の君は寝る時もそばから離さないほどかわいがるようになりました。

でも、子供といっても12、3才の当時はもうちょっとで元服(成人)する年頃の少年と若い男の源氏の君が自室で共寝するのはあやしくありませんか?

主従関係にある男は普通は一緒に寝ません!

疑わしい会話も有るので、源氏の君と小君は男色関係にあったのではないかと私は疑っています。

源氏の君の稚児にされ源氏の君を拒む姉の空蝉の身代わりに抱かれていると思っていたとしたなら小君かわいそう…などと妄想しちゃいました。

小君は泣くほど本気で源氏の君に惚れてお慕いしていたはずなんですけど、女好きな源氏の君に男の自分が一番に愛されるわけがないと最終的には泣く泣く報われない恋を小君はあきらめたのではないでしょうか?

源氏の君って女も男も泣かせる悪い男(笑)

以上、菊池乱の「腐女子の目線で古典文学を読んでみたら…」第一弾でした。

次回も古典文学では有名なプレイボーイの男色スキャンダルを暴いちゃいます♪

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Posted on 2007/11/28 Wed. 20:09 [edit]

倭建命はタケルに抱かれていた!? 

先にこっちが書きあがってしまったので光源氏の回で予告していた方は次回にして別件の古典男色ネタ投下しちゃいま~す♪


日本書紀や古事記に書かれている不遇の皇子倭建命は女装して熊襲征伐に行きました。

熊襲の首長のタケルは女人に混じって宴の席にいた女装の皇子を見目麗しい乙女と愛でて寝所に連れ込みました。

お酒を飲みながら二人きりで戯れまさぐりといったことをしていたのは夜更けの周囲に人気がなくなった頃のことでした。

ひどく酔っ払っていたタケルが男女の区別もつかずに皇子の胸元などをまさぐったりしていたと一般的には推測されていますが私は違うと思います。

九州は古来より男色が盛んな土地柄であったため、途中で乙女ではなく美少年と気付いてもタケルはかまわず皇子を抱いてしまったのではないかと疑っています。

力では敵わないため皇子は抵抗できずあきらめて身をまかせ事が終わるその瞬間を狙ってタケルの背中を刺したのでしょう。

イク瞬間の男の背中は無防備なものなのでしっかりと倭建命を抱きしめ押し倒していたタケルの背中に小刀でも倭建命は突きたてたのではないかと私は推測(妄想ともいう)しています。

色仕掛けで倭建命は熊襲征伐をやってのけたのです。

そして、情を通じたタケルだからこそ皇子は瀕死のタケルから尊号を奉ることを許したのです。

皇子はある意味この時少年から男になりました。

男色行為と大人の男の名前を与えられたことによって後の元服のような成人の儀を倭建命は済ませたのです。

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Posted on 2007/12/05 Wed. 18:56 [edit]

業平の本命は実は… 

伊勢物語で有名な在原業平は美男子でプレイボーイでした。

この方は実在した人物で歌詠みの才能があった風雅な方だったのですが、スキャンダラスな恋愛騒動のせいで出世がはかばかしくありませんでした。

不思議なことに女性と浮名は流しても伊勢物語の中では正室や側室の存在は見当たらず、深い友情で結ばれた男友達や主従関係にあった親王様とたいへん情の深い歌のやり取りをしているのが目立ちます。

大雪の中を比叡山の麓にある出家した親王様の庵を訪ねて行って業平が詠んだ歌は情感あふれ、まるで離れ離れになってしまった恋しい恋人と再会したような感じです。

忘れては夢かとぞおもふ思ひきや
雪ふみわけて君を見むとは

上記の歌を腐女子の目線で読んでみたらただの主従とは思えません。

伊勢物語は業平と親王様の純愛ラブストーリーという見方もできるのでは?と私は思っています。

業平の派手な女性遍歴は、実は親王様との男同士の秘めたる恋を隠すためのカモフラージュだったのです!

愛しい親王様さえ守れたらそれでよかった業平は、女好きアピールのために女たちを利用したのです。

ところが大本命が不遇の皇子であった親王様という高貴なお方であったものだから、業平は女性も食指が動くのは手を出すとまずい立場にある高貴な女性でした。

だから、女性の身内の怒りを買って出世に響いちゃったんです(苦笑)

処女のままであらねばならぬ伊勢の斎宮様やり逃げしてしまった業平は、いつも女は最後は捨ててしまっていたような気がしています。

業平の場合、一時的なアバンチュールはたくさんあっても長く続く恋愛は女性とはなかったんじゃないかとも思います。

それは大本命の親王様がいたからなのさ!と私は推測(妄想ともいう)しています。

業平は親王様より18才年上でしたから親王様が成長するまでは、肉体関係迫るわけにもいかず、業平は若いうちは女遊びして性欲処理していたのかもしれません。

傍目には気が多く見えても実は業平は、一途に親王様だけをお慕いし愛し続けていたように私は思うのですが、決定的証拠に欠けるのであくまでこれは推測です。

おそらく、業平と親王様は「衆道」よりも「浄の男道」のような関係だったのでしょう。

要するに「西洋騎士道」であこがれの姫君や貴婦人(貴腐人ではありませんw)をお守りするような感覚で業平は親王様を愛し続けたのでしょう。
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Posted on 2007/12/07 Fri. 05:23 [edit]

織田信長の最初のお稚児さん 

織田信長のお稚児さんといったら、皆様誰を思い浮かべますか?

「森蘭丸」

ですよね?

でもね、信長は若い頃から男色に手を出していたんですよ。

おそらく、最初のお相手は小姓の前田利家。

14歳の時、尾張那古野(名古屋)城主織田信長に近習として仕えた元服前の利家は、幼名を犬千代といい、前髪の初々しい美少年でした。

当時18歳の信長は噂通りの破天荒振りで、犬千代(利家)の手には負えないバカ殿、いや若殿であったが、犬千代(利家)の美少年振りにどうやら信長の食指が動いたようで手がつきました。

利家が城に上がった時には、信長は既に濃姫(帰蝶)という正室と結婚していたのですが、利家元服後も信長は男色の方で利家を寵愛し続けました。

しかし、利家は夜のお勤めだけではなく、戦国武将の本分である戦の方でも頑張りました。

尾張海津の戦いに初陣した時には、さっそく敵兵の首級を上げてきたので、さすがの信長も、

「肝に毛を生ぜり」

と感嘆したといいます。

この戦での働きで、利家は信長にとってただきれいなだけのお稚児さんではなくなったのかもしれません。

利家19歳の時、謀反を起こした信長の弟の織田信行を攻めたのですが、信行の小姓頭の宮井勘兵衛が放った矢が右目の下に刺さっても、その矢を抜きもせずに槍をふるって突進し、利家は宮井勘兵衛を突き殺しました。

なかなかの猛者振りです。

信長のようなサディストは、ギャップを好むもので、おなごのように美しい顔をした利家が顔に矢傷を負っても、怯むことなく敵に突進していき相手を打ち倒す様を見ていた信長はさぞかし萌えたに違いないでしょうw

利家は顔に矢傷が残っても、その後も男色の方で信長に寵愛され続けていたようでした。

けれども、信長に長らく寵愛され続けてきた利家にも受難の時がやがてやって来ました。

利家22歳の時、信長の同朋衆であった十阿弥が刀の笄(こうがい)を盗んだので利家が十阿弥を成敗しようとしたら、佐々成政が十阿弥を庇い、信長も成敗を許さなかったため、この時は我慢した利家に十阿弥はしつこく嫌がらせを続け、とうとう堪忍袋の尾が切れた利家はわざと信長の目につく場所で十阿弥を斬り殺してしまいます。

これに激怒した信長に成敗されそうになった利家は、宿老たちが信長をなんとかなだめた結果、出仕停止の処分に止まりました。

が、当時の武士の「出仕停止」とは派遣切りにも似たようなもので、仕事も無ければ今までの住居にもおめおめと居座るわけにもいかないんです。

実質「浪人」状態でこの後数年間利家は、帰参のチャンスを狙って戦となればこっそり馳せ参じては、敵将の首を取りに行ったのですが、信長はなかなか利家の帰参を許しませんでした。

14歳から22歳までの長きに渡って信長の寵愛を受けていた利家のことを、

「わしの寵に甘えて身勝手なマネをしおって!」

と信長は思い十阿弥斬殺の件を怒っていたであろうわけで、おそらく直情型で見た目と相反して硬派な利家が日頃から十阿弥から受けていた嫌がらせの数々は信長は知らなかったのではないかと思われます。

利家の性格的に十阿弥に嫌がらせをされていることをいちいち信長に言いつけるなどという女々しいことはしなかっただろうし、我漫の限界がやってきてやってしまったことについての申し開きもしなかったのではないかと……。

損な性格ですが、信長以外の殿様なら利家のような実直で戦でもよく働くまじめな武将は評価してくれたんじゃないかと思われます。

なんせ、信長は嫁に行った娘の徳姫が姑の愚痴を手紙で書き送れば、その姑の築山殿と娘婿の松平信康をその夫で父親の松平(徳川)家康に殺せと迫って殺させちゃったような人なんで。

言いつけたもん勝ちみたいなところが信長の場合はあったんじゃないかと?

信長に寵愛されてた期間が長かったわりに、利家は甘え下手だったのか?後にお稚児さんになった小姓堀秀政のように若いうちに特別早い出世もしていません。

不遇の時期を経て前田利家がようやく織田家へ帰参した時には、猿が出世していました。

信長に猿呼ばわりされていた木下藤吉郎(豊臣秀吉)が頭角を現してきていたのです。

格下の猿に抜かれて利家はさぞかしショックだったことでしょう。

でも、この不遇の時期に忍耐力を身に付けたからこそ、利家は加賀百万石への礎を築けたのかもしれません。

本来、前田家四男の利家が家督を継げるわけがなかったのですが、長男夫婦とその子供に関わるある事情と信長の命令によって利家は前田家の家督を継げてしまいました。

柴田勝家や佐々成政らが、荒子城へ利家の前田家家督相続祝いにやってきた時に、隠居を命じられた長男利久をこきおろし、武芸達者な利家が家督を継いで当然といった話をしたところ、

「そのような見えすいたお世辞は聞きたくない」

と利家は言ったそうで、やっぱり人の悪口はお嫌いな方だったようです。

ところで、性格的に信長と利家って合わなそうなんですけど、男色関係にあった期間が長かったのは、体の相性が良かったから?

それとも、サディスト信長からしてみればまじめな利家はいたぶり甲斐があったから?

人物像を掘り下げて考えてみると愛人向きじゃない利家、よく辛抱したなぁとも思ったりして(笑)

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Posted on 2009/01/23 Fri. 18:11 [edit]

女装癖&美少年Love・・・将軍様の許されなかった性癖 

今回は、古典ではなく歴史上の実在人物のお話です。

徳川三代将軍の家光さんは、実は、尼僧だったお万の方と出会わなかったら、男色一筋だったかも?というお方でした。

美少年のお小姓たちと一緒にお化粧して女のように着飾って踊っていたのを家臣に見咎められて、それはやめにしたのですが、ゲイの他にトランスベスタイト(服装倒錯)疑惑有りな将軍様でもあります。

女のように美しい美少年を愛した家光さんは、もしかすると自分自身もきれいになりたかったのかもしれません。

史実によると家光さんは色黒で目が細く「美しい」という形容とは縁のなさげなご面相だったそうです。

家光さん自身がなりたかったのは、周囲にはべらせていた女のように美しい美少年、あるいは母のお江与の方のように美しい女性だったのではないかと菊池は疑っております。

男色自体は古来から日本ではそれほど否定的ではなく、女人禁制のお寺ではお稚児さんと坊様の男色行為はOKだけど、女人と交わるのは罪とみなされ刑罰を与えられました。

院政時代あたりなんかは、研究者がうんざりするほど男色まみれな裏歴史が……。

戦国時代から江戸時代にかけては、武士はバイセクシャルも多かったのでは?

闘争心の強い男性は、性欲も強い傾向にあるわけで、有名な武将は側室の数も多く子沢山。

そういう武将は、女のいない戦場では美しい小姓を抱いて性欲処理していた模様。

ちなみに、一生涯独身を貫いた上杉謙信はなかなかの美男子なのですが、女性はまるでダメだったゲイ疑惑のあるお方です。

織田信長は森蘭丸の前には、加賀百万石の礎を築いた前田利家を寵愛していましたが、正室も側室も持ってましたし子供もたくさんおつくりになったバイセクシャルです。

武士道というものが絡んだ形で武士の「恥を知るための衆道(肉体関係有り)」やら師弟関係で肉体関係までは無いけれども師弟以上恋人未満?といった感じの男同士の公認カップルが出来あがる以前に、男同士で情を通じることはさほどタブー感がなかったようです。

ただし、将軍家におきましては世継ぎを作るという重大な使命があったため、男色ばかりではお世継ぎができませぬと周囲がやきもきして次々側室をあてがったりしたわけです。

家光さんは、お気に入りの側室お万の方との間には子供は出来ませんでしたが、お楽の方、お夏の方、お玉の方という側室にはそれぞれ男児をもうけており、なかなか効率の良い子作りをしております。

そして、お楽の方が産んだ長男家綱が四代将軍就任。

家光さんが亡くなってから落飾したお玉の方は桂昌院と名乗っていましたが、その子の綱吉は家綱に子がなかったことと次男の綱重が亡くなっていたため将軍に!

母のお玉の方もシンデレラガールでしたが、その子の綱吉さんもシンデレラボーイな将軍様なのでした。

男色に耽っていたため世継ぎの心配をされていた家光さんの実子は、かくして二代に渡って将軍になりました。

けれども、悪評高い「生類憐れみの令」で有名な犬公方綱吉さんは、女好きでしたが世継ぎをつくることは出来ませんでした。

実は、綱吉さんも男好きであったため若い頃は江戸城を抜け出して相手の男の家に通い逢い引きしていたのです。

家光さんと比べるとあまり世間様に知られていないようですが……。

やはり家光さんの子供、血は争えないということでしょうか?

綱吉さんの時代はまだ江戸城の規律もそれほど厳しくはなかったので、将軍様がお忍びで出かけることは可能でした。

家光さんと違って綱吉さんには春日の局のような存在もおりませんでしたから、わりとしたいように行動出来てしまっていたのかもしれません。

ただ、家臣の家に通っていた綱吉さんの場合は、実は受けくんだったのではなかろうかと菊池は疑っております。

将軍様攻め×美少年受けならまだ許されるような気もするのですが、将軍様受けで家臣に掘られてあんあん言わされちゃってたりしたら城内ではやりづらいですよね?

そんなことを妄想しながらお勉強してみたりすると日本史も楽しいもんですよ♪

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Posted on 2009/08/04 Tue. 23:39 [edit]

古代ローマ帝国はバイセクシャル帝国だった!?~女装のサディストカリグラ編~ 

実は、古代ローマ帝国の歴代皇帝は、女色だけではなく男色も好む両刀使い(バイセクシャル)が大半でした。

シーザーから数えて15代までのローマ皇帝のうち、男色に興味を持たなかったのはカリグラ帝が暗殺された後に次の皇帝となったカリグラの伯父のクラウディウス帝だけだったといわれています。

クラウディウス帝の甥のカリグラは、サディストで自分が楽しむために何の罪もない人を次から次へと残酷な方法でなぶり殺しにしたので、多くの人の恨みを買ってわずか三年二ヶ月の在位で29歳の時に暗殺されてしまいました。

祖父のティベリウス帝と同じようにカリグラは即位の際に自分の地位を脅かす可能性のある一族の男子をすべて殺してしまったわけなのですが、愚鈍で知られていた伯父のクラウディウスだけは、なぶって楽しむために生かしておいたため皇帝一族の男子がたった一人だけ生き残ることが出来ました。

おそらく、サディストのカリグラは自分の敵にはなり得ない愚鈍な伯父のクラウディウスを虫けらのように扱いつつ、生かさず殺さずという状態で気の向くままになぶって楽しんでいたのでしょう。

おかげでクラウディウスは殺されることなく次の皇帝になれたわけなのですが、カリグラの暗殺がもうちょっと遅かったらもしかしたらクラウディウスもなぶり殺しにされていたかもしれません。

「もう飽きた」

とかいう理由で。

案外、サディストのカリグラがこの伯父のクラウディウスを生かしておいた真相は、男にまったく興味を示さ無い男だったからかもしれず、バイセクシャルで女装趣味のあったカリグラが女装して責め立てても反応しなかったため意地になってしまったからなのかも!?(妄想w)

落ちないとなると意地でも落としたくなるもんですからね~(^^;

残虐なサディストであっても自分が納得する形で攻略するまでは生かしておくかもしれません。

ちなみに、熱しやすく冷めやすいタイプであったと思われるカリグラは、3人の妹の全員と近親相姦の関係を持ち、一番上の妹のドルシラを正妻同様に扱い、彼女が若くして亡くなったときには、半狂乱になって悲しみました。

飽きる前に死なれてしまったのでドルシラに対する愛だけは消えなかったのかもしれません。

一方、下の妹2人には、それほどの愛情を示さず、自分が買った男娼相手に売春させたりしたそうです。

しかも、自分の暗殺を企てたとして二人を流罪にしてしまったというのですから、やっぱり飽きたんでしょうね(--;

女だったから殺さなかっただけで、これが男だったら間違いなく殺していたでしょう。

あるいは孕んでいたら殺していたかも?

自分の子供じゃなくても、皇帝の妹である皇女が産んだ子供が男児であれば、自分の地位を脅かす存在になり得ますからね。

ところで、女装趣味のあったカリグラは、女装して踊ったり、女神の扮装で人前に出たりもしていたというのですが、この行為は自分自身を神々しく残酷な女神になぞらえていたように思えます。

ある意味最強女王様気どりといえるでしょう。

もしかすると皇帝よりも女王様になりたかった人物なのかもしれません。

カリグラは、舞台俳優や人質、貴族の子弟などと男色関係を持ったそうですが、女性関係も大変乱れていました。

部下の妻を気に入って無理やり離婚させて自分の妻にして、すぐに飽きて棄てるというようなことを繰り返したともいいますが、もしかしたらそれらの女性に最愛の亡きドルシラのおもかげを求めていたのでは?

けれども、どの女もドルシラの代わりになどならないと気づいたら即効棄てるの繰り返し…サディストでその他の性倒錯も持っている人間がいかにもやりそうなことです。

おそらく、若くして亡くなったドルシラに変態カリグラは執着し続けていたのでしょう。

カリグラくらいいろいろ好き放題やってるように周囲からは見えるタイプの変態サディストの場合、精神的な理解者を最も大切にするわけで、長女のドルシラだけ大切にして他の二人の妹たちはないがしろにしたカリグラの「唯一無二の心の友」はドルシラだったのかもしれません。

サディスト特有の精神的脆さも持っていたはずのカリグラの行動の無軌道さに拍車がかかったのは、ドルシラという心の支えを失ってから不安に駆られることがあっても誰も慰めてはくれなかったからなのでしょう。

カリグラも子供のうちに殺されていたかも知れなかった立場の人間、皇帝の血筋の男子だったわけでまともな育ち方はしていないはずです。

もしもドルシラが長生きして、カリグラもドルシラに飽きることなく暮らしたなら、暗殺されるほど多くの人々の恨みを買うような非道なことはやらかさなかったかも?

おそらく、ドルシラの死後は、何をやっても晴れないほどカリグラの心の闇は深くなっていったのでしょう。

変態ってどんなに自由奔放に振る舞ってみても、やりたい放題やってみたって、それで満足出来ているとは限らない不自由な生き物なもので、カリグラのようなサディストは典型的自己破滅型。

自分自身を破滅へと追い込んでいったんですよ。

わざと暗殺されるように仕向けた。

ドSが持つドM的願望の最終地点は「死」なんで。

最後にカリグラが望んだのは「殺されること」だったのかも?

カリグラは、古代ローマ帝国史上たいへん(変態)悪名高き皇帝の一人なのですが、ローマ皇帝の変態の歴史はまだまだあります。

そんなわけで、古代ローマ皇帝ネタでまた書きます。

変態による変態心理のご紹介をしちゃいますよ爆弾


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Posted on 2009/08/05 Wed. 18:47 [edit]

古代ローマ帝国はバイセクシャル帝国だった!?~皇帝の性転換編~ 

三世紀のローマ皇帝ヘリオガバルスは、実は先々代の皇帝カラカラの従弟でしたが、母ユリアが実子であると主張して、まんまと息子を皇帝の座に据えてしまったという経緯のある皇帝でした。

ヘリオガバルスはいつも女装し、男性の愛人を持っていました。

一応、バイセクシャルで女性とも関係しましたが、どうやら男性の方がお好きだったようです。

14歳で皇帝に就任したこの少年皇帝は、女装と男色を好み、男とのセックスでは受け(ネコ)専。

「身体中のあらゆる穴によって情欲を満たそうとした」

といわれています。淫乱ちゃんだったのかも?

ですが、古代ローマ帝国のホモセックスでは、突っ込むタチはOKでも突っ込まれるネコは恥とされる傾向にあったため、皇帝が男狂いで突っ込まれて悦んじゃうような性癖であったことは周囲の人たちには大変不名誉なことであったようです。

女装して街に出かけては、売春宿でみずから売春婦として男性客の相手をし、部下に命じて公共浴場や波止場で逞しい青年を物色させて彼らに身を任せ、自分のことを「女后」とか「奥方」と呼ばせたりもしました。

人々には自分のことを「女帝」と呼ばせたりもし、更にアレクサンドリアから呼び寄せた名医に命じて女性器の形成と人工的な膣を形成する性転換手術を行わせたともいわれています。

このことから、ヘリオガバルスは、ローマ帝国史上『性同一性障害』であった可能性が最も高い皇帝といえるでしょう。

しかし、どのような手術であったのか、また、どの程度実用的に機能したのかは定かではなく、本当に造膣手術が行われたかどうかはあやしいところです。

ローマ帝国時代に少年奴隷に性転換手術を施して、失敗して死なせてしまった話も残っていますから、造膣手術のような危険な手術は実際には皇帝には行わなかったような気がします。

去勢手術くらいならやったかもしれませんが……。

ただ、この時代のローマ皇帝の在位記録などはかなりあやふやで、このヘリオガバルスという人物は、本当に実在したのかどうかさえも疑問有りなんですよね。

史実上では、彼(女)は最後は在位4年で、そのあまりに常軌を逸した行動に呆れ果てた親衛隊によって殺され、遺体は首を切られ、裸の首なし死体は街中を引きまわされてから、テベレ河に投げ込まれたとされています。

その死体を現代の法医学解剖で調べられたらおもしろいことがわかりそう。

タイムマシンがあったら、やってみたいものです(笑)

死亡時の体の状態が気になるところなので。

ローマ帝国は多民族国家で、貴族、平民、奴隷の階級制度はそれほど厳格ではなく、奴隷でも金を積めば解放されて平民になることができたといわれています。

女性の地位もギリシャと較べると高かったそうです。

それでも裁判で証人になれるのは、成人男性だけで、女性と思春期までの少年、宦官、奴隷はなれませんでした。

英語のtestimony(宣誓証言)は、ラテン語で睾丸を意味するtestisが語源で、古代ローマの裁判では、証人が自分の睾丸の上に手を当てて宣誓する習慣があったことから来ています。

証人に立った男性は、男の象徴であるキンタマに誓って真実を述べたわけで、キンタマを持たない女性、キンタマが成熟していない少年、持っていたけれど切り取ってしまった宦官、持っていても持っているとはみなされなかった奴隷は、証人にはなれませんでした。

古代ローマ人はやたら玉にこだわる民族だったんで、その大事な玉を取って性転換手術をした皇帝はよほど国民や親衛隊のお気に召さなかったのでしょう。

ヘリオガバルス帝は、カリグラやネロと比較すれば国民に深刻な被害は与えていなかった皇帝だったんですけどね。

世間様には「変態」とか「淫乱」とか呼ばれちゃうような性癖の持ち主ではありましたが……。

やっぱり世間様は異端者には冷たいし、少数派を排除する傾向は今も昔も変わらないということなんでしょうかねぇ(--;


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Posted on 2009/08/05 Wed. 20:06 [edit]

シーザー、おまえもか!?~ビテュニアの男王妃~ 

ローマ帝国の礎を築いた英雄、ジュリアス・シーザーことガイウス・ユリウス・カエサル(前100-前40)は、「英雄色を好む」という言葉通り、世界三大美女に数えられるエジプトの女王クレオパトラや多くの美女たちと浮名を流したことで知られています。

が、その一方で、古代ローマの多くの男性と同様、男色も好み、

「ローマのすべての女の夫、すべての男の妻」

とも呼ばれていたそうです。

「シーザー、おまえもか!?」

と言いたくもなるローマ帝国教科書では教えない男色の歴史です(笑)

英雄シーザーは軍人として戦果を挙げましたが、初めて軍務に就いた20歳の時にビテュニアのニコメデス王と男色関係に……。

この時の関係で若きシーザーはネコ(受け)役を務めたそうで、その結果「ビテュニアの王妃」という有難くないあだ名を付けられてしまいました。

古代ギリシャと同様、古代ローマでも、男同士のセックスでネコ(受け)役になることは不名誉なことと考えられていて、ニコメデス王との男色スキャンダルは終生汚名として彼に付きまといます。

突っ込むのはOKでも突っ込まれるのは不名誉って……結局のところ男尊女卑的思想がセックスの根底にあるから、男色関係も対等な関係にはならなかったということなのでしょう。

男色関係になっても男役はお咎めなしで女役やった方はまっとうな男に非ずといわんばかりの差別は、男尊女卑思想からきているとしか思えませんからね。

ちなみに、シーザーの後を継いだシーザーの姪の息子のアウグストゥスことガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス(前62-後14)は背の低い美青年だったのですが、彼と後継者の地位を争ったライバルのマルクス・アントニウスは、

「オクタウィアヌスは、大叔父のシーザーと男色関係を持つことで、シーザーの養子になった」

と罵っています。

さらに、マルクス・アントニウスの弟のルキウスは、

「オクタウィアヌスは、シーザーに後ろの処女を与えた後、イスパニアでシーザーの友人のアウルス・ヒルティウスに30万セステルティウスで身体を売った」

と非難しています。

オクタウィアヌスは、この若い頃の汚名をすすぐために、シーザーの後を継いで権力の座に就いてからは男色には一切手を出さなかったといわれているため、シーザーの養子になり権力を得る手段としてシーザーやその友人と関係を持ったとも考えられます。

オクタウィアヌスは、計算高いタイプだったんですね。

本当にそういう性癖がある人は我慢しきれなくなるはずなんで、オクタウィアヌス自身は特に男が好きだったわけじゃないのかもしれません。

小柄な美青年であったオクタウィアヌスに周囲の男たちが欲情してしまったため、それを利用してオクタウィアヌスは権力の座へと登りつめていっただけなのかも?

まさしく捨て身の大出世!?

ところで、シーザーの養子になったオクタウィアヌスは統治者としては非常に優秀で、養父のシーザーが着手した帝政への移行を完成しました。

そして、元老院からアウグストゥス(尊厳者)の称号を得て、ローマ帝国初代皇帝に就任しました。

ローマ帝国の初代皇帝は、英雄ジュリアス・シーザーことガイウス・ユリウス・カエサルではありません。

その養子のアウグストゥスことガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌスが初代皇帝となったわけなのですが、戦さの時代が終わり、小柄で賢く計算高いオクタウィアヌスに時代が味方したのでしょうね。

行動派で風来坊なところのある軍人シーザーには、おそらく落ちついてローマで政治に取り組むことは出来なかったでしょうから、オクタウィアヌスなくしてローマ帝国は成らなかったことでしょう。

オクタウィアヌスが本当に体を張ってシーザーにベッドの中で養子縁組をねだったのかどうかはわかりませんが、あの時代の統治者とすべくオクタウィアヌスをシーザーが養子に選んだのは良い選択であったとはいえます。


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Posted on 2009/08/05 Wed. 20:16 [edit]

男と二度結婚した皇帝~ローマ帝国爛熟時代~ 

ローマ帝政時代にはその文化は退廃の色を濃くし、性道徳は乱れ、売春や不倫、男色、近親相姦などが社会に蔓延したといわれています。

男色については、古代ギリシャの少年愛の倫理的な理想論は陰を潜め、もっぱら快楽主義的な面が強調されるようになりました。

きっとプラトンは草葉の陰で嘆いていたことでしょう。

『プラトニックラブ』だのなんだの言っても、結局のところギリシャの哲学者であったプラトンは女性には興味の無いゲイ一筋なお人だったわけですからね。

それでも、プラトンのかわいらしいところは「性欲先行型」ではなく「気持ち先行型」であったところ。

次々お弟子さんに手をつけてやっちゃったなんて逸話が残っていないのは、プラトン自身がシャイで奥手な人だったからなのでしょう。

あるいは、秘密の関係を漏らすことの無い特定のパートナーがいたのか?

どちらにしても、

「気持ち良ければなんでもいい」

といわんばかりの節操無しなローマ帝国の「性」の乱れっぷりを一番嘆きそうなのは、やっぱりプラトンのような気がします。

プラトンって「永遠の少年」って感じがするじゃないですか?

『あ、あの人素敵ドキドキ

と男を見てたとしても、

「やらないか?」

って男から声かけられたら、

「そんなの不潔だーーーっ!」

って泣いて走り去りそうな気がする(笑)

ところで、古代ギリシャでは、自由市民の子弟が売春を行なったことが判明した場合には、市民権を剥奪されたのですが、ローマ時代になるとすっかりタガがはずれてしまい、皇后や皇帝までもが売春するようになりました。

ただし、皇后や皇帝の売春は「金を稼ぐための行為」ではありませんでした。

色情狂的性欲を満たすための行為の一つであったかと思われます。

おそらく、ローマ皇帝一族の性欲は、強さも方向性も常軌を逸していることが多々あったため、男漁りの手段の一つとして売春行為を行ったのでしょう。

暴君ネロとして知られる、ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス(37-68)は、近親相姦も男色も女色もなんでもありでした。

前帝クラウディウスがその美貌に惚れこんで4度目の結婚相手に選んだ程の美女であったネロの母親アグリッピナとネロは近親相姦の関係にあったといわれています。

ちなみに、アグリッピナは兄で前々帝であるカリグラと近親相姦の関係になったものの、その後冷遇された妹のうちの一人です。

前夫との間に出来た我が子を皇帝にするために伯父に再嫁したアグリッピナは、うるさく干渉する母親と厭われて最後は最愛の息子ネロに殺されてしまいました。

たぶんアグリッピナは母親としての愛情以外の感情をネロに対して持っていたはずで、それは兄のカリグラとの近親相姦関係の時にもあったのではないかと思われます。

アグリッピナは身も心も近親相姦にはまるタイプだったんでしょうね。

ネロの時は、おそらく彼女の方から近親相姦の関係に持ち込んだのでしょう。

近親者とのセックスは体がしっくりくるとか相性がいいとかいいますし、その背徳行為に精神的にも興奮を感じるため心身ともに普通では感じられない快感を感じるともいいます。

もしかするとアグリッピナはカリグラとの近親相姦行為で得られた快感が忘れられなかったのかも?

アグリッピナが最初に近親相姦の関係になった兄のカリグラと、次に近親相姦の関係になった我が子のネロってどこか似てたんじゃないかと思いますし……身内だから見た目や性格は似ていた可能性はあるし、二人ともドSだし(笑)

でも、盲愛し相手にうざがられるほどベッタベタになるKYな彼女は残念ながら賢いM女タイプではなく、遠ざけられたり、殺されたりしちゃったんじゃないのでしょうか?

アグリッピナって、サディストにはうざがられて嫌われるタイプですもん(苦笑)

ちなみに、ネロは生涯に何度も結婚していますが、最初の妻のオクタウィアは早くから疎んじ、姦通罪の汚名を着せて殺してしまいました。

二番目の妻、ポッパエア・サビナは絶世の美女で最愛の妻でしたが、夫婦喧嘩でサビナの身重のお腹をなんとネロは蹴っちゃったんですよ。

それが原因となりサビナは死んでしまいました。

暴君ネロはDV夫でもあったわけです(^^;

ネロは、その後、女性以外に男性とも二度結婚しています。

最初の男性との結婚では、奴隷のピュタゴラスを夫に選んで、正式に結婚式を挙げたといわれています。

でも、この結婚は皇帝の身分で「花嫁」になったことと、結婚相手が奴隷だったことから、大いに顰蹙を買ったとか。

やっぱり、皇帝が突っ込まれるのは不名誉だった模様(笑)

二度目の男性との結婚は、相手は亡き最愛の妻ポッパエア・サビナに生き写しの美少年スポルス。

スポルスの時は、彼を去勢してサビナの名前を与えて花嫁にしたそうです。

ネロってリバ(リバーシブル)OKな人だったのですよ、男同士のセックスで突っ込むのも突っ込まれるのもどっちもOKなのねw

でも、スポルスの時は亡きサビナの身代わり的なものを感じます。

去勢して女のような状態にしてから、花嫁にしたというあたりで、通常の少年愛や男色の概念から外れています。

ネロはスポルスを女にして、二番目の皇妃サビナの身代わりとしたのでしょう。

きっとネロは伯父のカリグラ同様に、故人に執着していたのですよ。

変態って意外と一途なところがあって、特にサディストはストライクゾーン狭い分はまるととことんはまるんですわ(^-^;

よほど亡きサビナのことが忘れられなかったんでしょうね。

本人はささいな夫婦喧嘩のつもりだったのに、ついうっかり蹴り殺しちゃったんですから、さすがにネロも後悔したでしょうし。

そこにサビナの生まれ変わりのような美少年が現れたもんだから、スポルスをサビナの代わりに愛したんでしょう。

後悔してた分、サビナにしたスポルスは大事にしていたかも?

暴君ネロも所詮人の子。

喜怒哀楽、愛情も憎しみも後悔も恐怖も持って悩み苦しんでいたんだろうけど、快楽やストレス発散の方向性がまずかったんですわ。

暴君ネロの非道なやり口に怒りまくった民衆は、その後各地で反乱を起こし、ついに73歳の老将軍ガルバ(前3-後69)が反乱軍の指導者となってネロに反旗を翻し、元老院も反乱軍側に味方したため、追い詰められたネロは逃亡。

そして、「サビナ」と呼ばれた最後の妻、去勢少年スポルス立ち会いの元、ネロは自殺しました。

スポルスはネロの自殺を見届けても、生き延びて次の皇帝になったガルバに仕えました。

ガルバは女色よりも男色を好み、特に成熟した剛健な男子を好んだそうです。

73歳でそのお好みはガチホモですね、ガルバ皇帝(菊池、心の声w)

しかし、ガルバはわずか7ヶ月在位しただけで、次の皇帝のオト(32-69)に殺されてしまいました。

ガルバの次の皇帝となったオトは、若い頃のネロの遊び仲間でネロの男色相手の中の一人でもあったようなのですが、ネロの「未亡人」のサビナことスポルスがネロが自殺した時に殉死せず、ネロとガルバの二夫にまみえたといってスポルスを非難しました。

そして、スポルスに娼婦の扮装をさせて公衆の面前で侮辱したため、スポルスは屈辱のあまり、舌を噛み切って自殺してしまいました。

オトのこの行為は、「嫉妬」に駆られての行為かと思われます。

おそらく、オトは若い頃には体の関係もあったし、好意も抱いていたネロを一人さびしく逝かせてしまったネロの妻のサビナことスポルスのことが許せなかったのでしょう。

ネロを自殺に追いやったガルバに仕えたことはこずるい行動と思われたでしょうし。

皇帝の貞淑な妻として取るべき行動は、殉死です。

妻として扱われていたスポルスはネロ自殺の後は女として死ぬべきはずだったのに、男色を好んだガルバには男として仕えていたものだからそれを見てオトは烈火のごとく腹を立てたのかも?

ネロの妻になった者が男としてガルバに仕えているなんてオトには許し難いことだったとも考えられます。

真相は、オトが最も腹を立てていた相手はスポルスで、スポルスをとっちめてやるためにオトはガルバを殺して皇帝になったのかも?

ところで、皆様は、オトはネロの男色のお相手をした時はどっちだったと思いますか?

菊池は、オトがネコ役だったんじゃないかと思うんですけど……。

オトのスポルスに対する怒りようと辱めの仕方が、そっち側の嫉妬っぽい気がするんで(^^;

男の人の中にも多少なりとも「女心」ってあるもんですからね(ニヤリ)

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Posted on 2009/08/05 Wed. 20:30 [edit]

あなたは旦那にもらうならどの戦国武将がいいと思いますか? 

goo ランキング
「お嫁に行きたい!」と思う武将ランキング
1直江兼続
2前田利家
3上杉謙信
3伊達政宗
5織田信長
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さすが、大河ドラマの影響大ですね!

ついこないだまでは、

「直江兼続って誰?」

状態だったと思われるのに、テレビドラマの影響ってほんと侮れませんわ(^^;

でもね、アンケートでは人気あるけど、信長はおそらく最初の正室の濃姫(帰蝶)のことは大事にはしなかったと思う。

途中で濃姫の記録が消えてるのは、暗殺されたか、追放されたかのどちらかってことだから汗

伊達政宗なんて、本当はご本人はカッコよくはなかったわけで、側室の中で背が高く美しい者を代役にして馬に乗せ、市中の行列で政宗美男子説の噂を捏造したわけだしwww

政宗っておしゃれではあったけど、見栄っ張りな男だったわけなんですよ。

ちなみに、豊臣秀吉との賭け碁で勝って秀吉の側室を戦利品に一人もらい受けてきた政宗は、その側室と子を作っているわけで、もしかしたら秀吉は茶々以外に自分の子を産んでくれたかもしれなかった側室を政宗にくれてやってしまったというわけなのでしたwww

秀吉が賭け碁の景品にしてしまった側室が政宗に譲られることなく、秀吉の後継者を産んでいたとしたら歴史は変わっていたでしょう。

政宗の方は自分の首を賭けていたので命懸けの賭け碁だったわけですし(^^;

上杉謙信はゲイ疑惑の濃いお方で、女性はダメだったのではないかとも思われる節があるため、初夜からずっとセックスレスの可能性もありえるかも?(笑)

その宿命のライバルともいえる武田信玄も本命は美少年の愛人だったわけなんで、嫁は後継ぎを産み育て、

「亭主元気で留守がいい」

と言って笑ってられるような人でもないとしんどいかも(^^;

上位5位内でまともな有名どころは前田利家あたりかな?とは思うのですが、信長のお下がりということは目を瞑らねばならないでしょう。

前田利家は、美少年、美男子であったため信長に寵愛されたものの、堅物で武芸の鍛錬を怠らず、結婚生活においては正妻を大事にしたというまじめで誠実な人物だったので、旦那にもらうならお勧めな物件です。信長のお下がりとか気にしなければ(爆)

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Posted on 2009/10/10 Sat. 03:26 [edit]

ドルシラは知っていた~カリグラの狂愛~ 

 歴史上の実在人物いじって小説書こうかと思ったので、最初に歴史上の背景と推測を書いておきます。



 ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの後を継いだのは、愛妻リウィアの連れ子のティベリウスことティベリウス・クラウディウス・ネロ・カエサル(前42-後37)であった。
 しかし、ティベリウスは吝嗇で、猜疑心が強く、冷酷かつ残虐な皇帝で、肉親も信用せず、死んだ息子の嫁や孫を容赦なく殺害したりもした。
 ティベリウスの孫であるカリグラの上の兄二人は冤罪で囚われている間に亡くなったが、カリグラとその妹たちは軍によって軟禁され、ティベリウスの捕虜同然の状態に置かれた時期があった。
 そんな中、カリグラは非常に賢く立ち回り、ティベリウスの目を欺き生き残った。
 カプリ島に居を移していたティベリウスに引き取られ、そこでティベリウスの個人的庇護を受けながら6年間生活することとなったカリグラには、ティベリウスは一切危害を加えることがなかったのを人々は信じがたきことのように思ったらしい。
 また、周囲の人々はカリグラのことを、
「いまだかつて、これほど立派な奴隷も、またこれほど見下げはてた主人もいなかった」
と評したというが、カリグラがティベリウスの秘密の愛妾であったことを密かに揶揄しているのではないかとも疑われる。
 カプリ島でティベリウスが行った卑猥な遊びの数々は異常性愛によるものであり、美少年であったカリグラがティベリウス好みの卑猥な遊びでもって誘惑したのであれば、ティベリウスが表向きはカリグラに危害を加えることがなかったことについて納得がいく。
 そして、ティベリウスに殺されなかった孫の一人、カリグラことガイウス・カエサル・ゲルマニクス(12-41)は若くして皇帝になった。カリグラ24歳の時である。

-- 続きを読む --

Posted on 2009/12/19 Sat. 02:33 [edit]

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