1. 無料a
FC2ブログ

07 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 09

『鬼畜の戯言』菊池乱☆出版社の倒産により現在電子書籍配信ストップ中

秘密クラブからレンタルされる豊胸女装美少年レンタルドールシリーズ(SF/SM/BL/ML/JUNE/GID/女装/TS/etcな小説)言論と表現の自由を守ろう!不当なネット規制反対!不適切な規制は解除すべきです!!

ライフメディア

ブログランキング参加中

FC2アクセスカウンター

オンラインカウンター

Twitter...

カテゴリー+月別アーカイブ

ブログ内検索

RSSフィード

プロフィール

FC2プロフィール

どこでも読書QR(docomo)

どこでも読書QR(au)

どこでも読書QR(ソフトバンク)

QRコード

By FC2ブログ

日本語→英語 自動翻訳

お知らせ

出版社の倒産により現在電子書籍の配信が休止となっております。報告のあったダウンロードのコミッションも私はまだ出版社から一円も受け取っておりません。お金よりも作品の公開権利のほうが大事なのでとりあえず担当の方に相談してみてから電子書籍以外での公開という形での作品の公開を再開したく思っております。

2015年12月24日

こねこ時計 ver.3

CATS
Sweets
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。

地球の名言Ⅱ


presented by 地球の名言

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Posted on --/--/-- --. --:-- [edit]

スポンサー広告  /  TB: --  /  CM: --

あたしが食べたいのは食べ物じゃない!~偏食家は万能サプリメントの夢をみる~ 

 胃がムカムカする。

 食べても、食べなくても……。

 今日も目が覚めてからずっと気持ち悪くて何も食べていない。

 今吐いても、すっぱい胃液やら、苦い胆汁くらいしか出てこないんだろうけど……吐きたい。

 全部吐いてすっきりしてしまいたい。

 苦しくて一度は這い出たベッドの中へと逆戻りする。

 布団の中で丸くなる。

 そして、また、万能サプリメントの夢をみる。

 一日一粒飲めばそれで食事代わりになる完璧なサプリメント。

 そんなサプリメントがあったら、あたしは食事は毎日それで済ませたい。 

 実は、あたしには、決まった時間に一日三食の食事を取ることの意味がわからない。

 それを強制されるのには苦痛すら感じる。

 生きるために必要なら、一日に必要な栄養素とカロリー全てを摂取出来る万能サプリメントがあればいいのにな…と思ってしまう。

 宇宙食みたいなのもいい。

 だから、ゼリー系の栄養補助食品は常用している。

 買い溜めして常温保存していても、腐らないところが特に気に入っている。

 うちには今は冷蔵庫がないからね。

「なに食べて生きてるの?」

と他人様に訊かれてしまうくらいあたしの偏食はひどくて、大学進学して一人暮らし始めてから冷蔵庫の必要性に疑問を感じるようになった。

 一人暮らし用の小さなツードアの冷蔵庫の中には、お酒と氷がどっさりと、調味料がほんのわずか入っているだけで、食材が中に入るのは友達が部屋に遊びにやって来る日だけだった。

 あたしは偏食はひどいけれども料理は出来ないわけじゃないし、むしろ食べることよりも作ることの方が好きかもしれない。

 実家には父母と妹二人と祖母がいて、食事は家族六人分作る癖がついていた。

 だから、カレーもシチューもいつも鍋いっぱいに作り過ぎてしまったあたしは、よく部活の仲間を何人も部屋に呼んだ。

 ご飯は三合炊きの小さな炊飯器で二回炊いて六合用意して、六畳プラス三畳くらいの1DKの部屋で食事会から始まる宴会をした。

 あの縦長に狭い部屋に十人近い人数の人間が、どうやって座って食事したのかなんてことはもう覚えちゃいない。

 だけど、あの時、自分はほとんど食べてなかったのに、あたしはお腹いっぱい食べるよりもお腹いっぱいになったように感じた。

 満たされていた。

 みんなが、

「おいしい」

と言ってあたしが作ったご飯を食べてくれるのがうれしかった。

 平日の昼食は、学食で「一番安くてまずい」と学生たちから敬遠されていたメニューである190円の麺が固すぎるラーメンを毎日食べ続けていたあたしは、食事なんかは、

「とりあえず食べられればいい」

としか思ってなかったのに……。

 嫌いな物を丸飲みするようにして食べた後に、やっぱり気持ち悪くなって吐いてしまうよりは、吐かない同じ食べ物を毎日食べ続けることの方が苦にならないとも思っていた。

 正直言って自分が食べる料理の味なんかは二の次だった。

 むしろ、安心して一緒に食事出来る友達がそばにいてくれるかどうかの方が問題だった。

 なぜなら、あたしは、一人では学食へもその他の飲食店にも入れなかったから……。(続く)

人気ブログランキングへ
☆人気ブログランキング携帯投票☆

「東京都青少年健全育成条例改正案情報☆現段階でのまとめ」
スポンサーサイト

Posted on 2010/04/13 Tue. 23:23 [edit]

あたしが食べたいのは食べ物じゃない!~お昼休みは図書館逃亡~ 

図書館書庫図書館

「あのぅ…Eクラスの人ですよね?」

とお昼休みになったばかりの図書館で、あたしに声をかけてきたのは黒ぶち眼鏡をかけたまじめそうな女の子だった。

 顔も服装も地味であか抜けない感じで、札幌市外組学生と思われた。
 
 あたしも人のことは言えたもんじゃなかったけどね。

 背のびしてきっちりした大人びた服装を入学当初は心がけてはいたものの、たぶん周りからは浮いてたんじゃないのかな?所詮、田舎者だからね。

「はい、そうですけど?」

とあたしが答えると、

「私もEクラスなんです。よかったらお昼一緒に食べませんか?一人だと学食入りづらくて……」

とお昼に誘ってくれたのは、大学で初めての友達となった大谷ちゃんだった。

「あ…行きましょう!あたしも学食一人だと入りづらいなぁって思ってて……」

とその後一緒に初めて学食へ行ったわけだったのだけれども、大学入学してから一度も学内で食事していなかったあたしには、その時の大谷ちゃんは仏様みたいに思えた。

 地獄に仏なんて言ったらおおげさかもしれないけれども、自分から知らない人に声をかけられないような引っ込み思案なところがあった昔のあたしには、同じクラスの見覚えのある学生にだって声をかける勇気なんかなかったから。

 北海道の田舎の進学校から、浪人は経済的に許されず、すべり止めで受験した札幌の大学の短期大学部にとりあえず入ってはみたものの、同じ中学や高校出身の子は学内に数名いても、お昼をご一緒出来るほど親しい友達は一人もいなかった。

 あの時、大谷ちゃんが声をかけてくれなかったら、もしかしたら友達も出来ず、あたしは学内で昼食を取ることもなく終わっていたかもしれない。

 怖くて一人で学食に入ることも出来ずにいたあたしは、あの日までお昼は食べずに毎日お昼休みは図書館で本を読んで過ごしていたわけで、一緒にお昼ご飯を食べてくれる友達が出来なかったら、短大時代はお昼休みは図書館逃亡し続けて、食べずに過ごしてしまったかもしれなかったからだ。

 あたしは、人の視線が怖かったから……。

 それは、「人前でものを食べる」という行為をしなければならない時に特に強く、食事中友達と会話することによってなんとか紛らわしていたその周囲からの視線恐怖は、一人での外食では耐えられそうになかった。

 なぜなら、あたしには、食べるということ自体に強いコンプレックスだかトラウマだかがあったからである。

 人に食べているところを見られるのが、怖かったし、恥ずかしかった。

 それには、あたしの偏食を直そうと無理じいした母があたしに対してやったことと、中学時代は給食をまったく食べられなくなってしまったあるきっかけが関係しているんじゃないかと自分では思っている。(続く)

人気ブログランキングへ
☆人気ブログランキング携帯投票☆

「東京都青少年健全育成条例改正案情報☆現段階でのまとめ」

Posted on 2010/04/14 Wed. 19:53 [edit]

あたしが食べたいのは食べ物じゃない!~食卓の拷問~ 

絵本をひとりで読む幼児

 家族の食卓の場も、給食は残さず食べて当たり前というあのお昼の教室の雰囲気も、息が詰まりそうだった。

 あたしの子供の頃は、好き嫌いはしてはいけないという風潮が、家庭内でも学校内でも強い時代だったから。

 偏食は「罪悪」と言わんばかりの周囲の態度に、あたしは段々追い詰められていった。

 偏食の激しかったあたしには、リラックスして食べ物を口の中やら胃の中へと詰め込められるような環境じゃなかったのだ、あの食卓は……。

 家ではあたしが小さい頃から、

「食わず嫌いはダメ!とりあえず食べてみなさい!!」

と母が威圧的な態度でもってあたしが嫌いな物を無理矢理食べさせようとした。

 頭を抑えつけられ無理矢理口の中に大嫌いなレタスを捻じ込まれた時は苦しくて涙が出た。

 生理的嫌悪感を感じるその葉っぱは、おぞましくて噛みたくはなかったし、吐き出してしまいたかったけど、もっと母に怒られて殴られるのが嫌で、青臭いいやな臭いと味のするその葉っぱをあたしは泣く泣くうえっと吐きそうになりながらも飲み込んだ。

 あれが決定的に家庭内の食卓が苦痛の場に変わった瞬間だった。

 あたしには、あれは拷問でしかなかった。

 家庭内の家族そろった夕食の時間は、あたしにとっては拷問の時間だった。

 全部食べるまで「ごちそうさま」をさせてもらえなかった時期は、見たいテレビも見させてもらえなかった。

 母の堪忍袋の緒が切れたあたりから、

「嫌なら食べるな!早く寝れ!!」

と食事の途中で母が怒鳴るようになってからはそれは終わったけど……。

 母にそう怒鳴られた日は、ほとんど夕食に手をつけずに、早々とあたしは自分のベッドの中へと逃げ込んだ。

 だけど、食事の場が苦痛だったのには、もう一つ理由があって、それはあたしのお箸の持ち方がおかしかったからだった。

 小豆を正しい箸の持ち方で一粒ずつつまんでお皿からお皿に移動させる練習なんかもさせられた。

 けれども、あたしは正しい箸の持ち方では小豆一粒つまむことも出来なくて、母が目を離した隙にいつもの持ち慣れた自分のおかしな箸の持ち方でひょひょいのひょいと小豆をつまんで違うお皿に移し替えてしまった。

 結局、正しい箸使いではまともに食事が出来ないあたしの惨状を見た母は、あたしのズルに気づいてものすごく怒ったし、頭を拳で殴ったりもした。

 母があたしを殴る時は鬼気迫るものがある。

 その形相も声色も本当に鬼のようで怖かった。

 今でも母が拳を振りかざしただけでも身がすくむし、とっさに条件反射で頭を庇う体勢を取ってしまう。

 母は必ず頭を殴るからだ。

 年子で生まれた妹二人は、好き嫌いも少なく箸使いも上手で、

「おねえちゃん、ダメねぇ」

とあたしが台所でお箸の使い方の練習をしているとバカにしにやってきた。

「お姉ちゃんなんだから、ちゃんと出来ないと恥ずかしいでしょ!」

といったものいいを母はよくした。

 長女のあたしは食事に関することでは姉妹の中で一番出来が悪かったものだから、

『お姉ちゃんなのに、ちゃんと出来ないのは恥ずかしいことなのだ』

というコンプレックスの刷り込みを母と妹たちによってされていった。

 二、三歳くらいから絵本を一人ですらすら読めるようになっていたことを、あたしは母に褒めてもらった記憶はまるでないのだけれども、あの食卓で母に怒鳴られ殴られた記憶は山ほどある。

 あたしは、たぶん、三歳になる前からの記憶を持っている。

 末の妹が生まれて、母が赤ちゃんを抱いて家に帰って来た時の光景を、今でもあたしは覚えているから…それは、あたしが二歳八ヶ月の時の記憶。

 あの時、あたしは古い家の居間の長い煙突のついた古臭い薪ストーブの前に座っていた。

 みんなそれくらいから記憶があるものとあたしは思っていたのだけれども、末の妹が、

「わたし、小学校くらいまでのことなんかほとんど覚えてないよ」

と何かの際に言ったのを聞いてひどく驚いた。

 だって、こっちはわがままな末の妹に振り回されて、小学生の時にはずいぶんと嫌な思いもしたのである。

 あれを覚えてないと言われた日には、妹の代わりに母や先生に怒られたりもした姉のあたしは怒られ損だ。

 学校の帰り道、癇癪起こしてランドセルをその場に投げ捨て、

「らんねえちゃん、うちにそり取りに帰って迎えに来て!さっちゃん(妹一号)は、一緒にいるの!!」

と当然のようにわがままを言う末の妹は、てんで言うこと聞かなくて、帰りが遅くなるとあたしが代表責任でもって母に怒られるため、仕方なく真冬の雪道をあたしは一人先に帰って、そりを引いて妹たちの待っている場所まで迎えに行ったりもした。

 何度、冬の間、学校から家まで片道徒歩30分の道のりを一往復半して、末の妹をそりに乗せて引いて帰ったことやら……それを覚えていないと言われた日には、かな~り納得いかないものがあった。

 理不尽なおもいをしたあたしは全部覚えているのに、数々のわがままし放題やら悪行の類いを一切覚えていない末の妹…我が妹ながら、なんとも幸せなやつである。

 普通は、大人になった時にいくつくらいからの記憶が残っているものなのかはあたしは知らない。

 けれども、幼少時の嫌な思い出を忘れずにたくさん覚えているあたしは、もしかしたら自分で自分を不幸せにしているのかもしれない。(続く)

人気ブログランキングへ
☆人気ブログランキング携帯投票☆

「東京都青少年健全育成条例改正案情報☆現段階でのまとめ」

Posted on 2010/04/15 Thu. 01:12 [edit]

あたしが食べたいのは食べ物じゃない!~出る杭は打たれる~ 

田舎の道

 中二の時、ある朝どうしても学校に行きたくなくて、スクールバスに乗らなかった。

 そして、学校サボって牧草地の木陰に隠れてた。

 うちはすんごい田舎で、あたしは中学からスクールバス通学だった。

 朝のそのバスに乗らなければ学校には行けなかった。

 学校サボっても家には帰りたくなくて、放課後妹たちが下校する時間に合わせて一度家に帰り、夜中に家を抜け出して家出しようと思ってた。

 当時は、実年齢よりも常に上に見られていたあたしの外見なら、年を誤魔化してお水やれないことはないと思っていた。

 家出して列車に乗ってどこか違う町へ行って、スナックとかでホステスやって生活していこうってとこまで草むらの中で隠れて考えてた。

 行きたい大学に入るために地元の進学校に入ることも、勉強したいことを学ぶために行きたいと思ってた大学へ行くことも、もうなにもかもどうでもよくなっていた。

 毎日の食事の時間が苦痛なのって生きる気力低下する。

 食べることって生きることの基本でしょ?

 それが毎日拷問のような時間なんだよ、家でも、学校でも……。

「食事を楽しむ」

なんてことはあたしは家出失敗して高校行くまで知らなかった。

 中学校入ったばかりの頃は、パンと食べられるおかずは食べていたんだけど、

「好きなものしか食べないなんてずるいな~」

と嫌味臭いこと言う男子がいて、毎日毎日ネチネチ言われたし、

「聞こえませ~ん!」

とあたしが授業で教科書読む番なると必ず言われた。

 座る時に椅子を引かれて尻餅つかされたり、足を引っ掛けられて転ばされたり、上靴や持ち物を隠されたり、いろいろといじわるされたりもしているうちに、いつのまにか食欲自体なくなってしまった。

 最初のうちは、あたしが絶対飲まない牛乳やジョアやヨーグルトとかを仲良くしてた子にあげてたんだけど、そのうちあたしが食べられたプリンとかも持ってかれるようになった。

 気がついたらあたしの分の給食はほとんど消えていた。

 あたしは、給食の時間は廊下や階段へ行くようになった。

 とてもじゃないけど、給食の時間は教室にはいられなかったから。

 もうあたしの居場所はあそこには無かった。

 給食費は寄付してやったようなもんだった。

 食べられないあたしを見るまわりの視線に耐えかねて、教室にすらいられなくなっていたあたしは、周囲の人に食べているところを見られるのが怖くなっていた。

 いじめの最初の理由は、あたしが「(女のくせして)クラスで成績トップなんて生意気だ」といったことであったのだけれど、食事に関するところにツッコミどころが一番あったものだから、最終的にはあたしの分の給食が消えるところにまでに到った。

 中一の時、あたしがクラスで成績トップであることが、非常に面白くなかった成績上位の男子数名が共謀したいじめがおこった。

 それはクラス内だけではなく、なぜか他のクラスの男子にまで連鎖していった。

 当時は学年順位は明確に発表されはしなかったのだけれども、あたしが学年トップ3内に入っていることはどういうわけか情報が漏れていた。

 あたしがいじめられていても女子は黙って見ているだけだった。

 あからさまな嫌がらせをされれば、あたしが相手に殴りかかっていき、蹴倒し馬乗りになってぼこるような凶暴な一面も持つ女子だったからである。

 学年単位でいじめがあからさまにエスカレートしていった頃、担任がいじめの首謀者であったクラスで成績2位の男子を問い詰めたところ、

「憎かった。あいつさえいなければ…と思った」

という言葉が出てきたということは担任から事情を聞いた母から聞かされた。

 あたしが通っていた中学は、近隣の複数の小学校から児童が集まって来ていたマンモス校だった。

 そのため、中学校の近所にあった他の小学校で今までずっと一番の成績を取り続けてきたその男子は、僻地校から一人でその中学に行ったあたしと同じクラスになった途端、クラスでトップの座から転落したのがよほど面白くなかったらしい。

 自分が一番で当然と思ってきた人種だったからだ。

 しかも、自分が負けたのは「ド田舎の小学校から来たよそ者の女」であったのが、なおさら面白くなかったらしい。

 あたしは、中学の頃は本当に勉強が楽しくて、時間も忘れて深夜まで家庭学習していただけだったのに……

 塾なんて行ったことない。

 だけど、塾通いしてもあたしの成績抜けなかった成績上位の男子たちからして見れば、あたしのような真面目でどこかお高くとまっているように見えるタイプは、鼻についたらしい。

 あたしは他の女の子たちと群れることなく、休み時間は一人で本を読んでいることが多かった。

 アイドルにもテレビにも興味なし。

 聴く音楽はクラシックで、好きな作家は芥川龍之介。

 クラスのほとんどがまだそこまで進路考えちゃいないような時期に、大学は国文学科に行って国文学研究をしたいなんていう中一女子は毛色が違って見えたらしく、あたしのことを面白くなく思っていた輩はそういったことにも反感感じていたようだった。

 けれど、中学校時代、あたしを集団でいじめたのは、不思議なことに男子だけで、女子にはまったくいじめられたことはなかった。
 
 群れないだけで、女子とは仲が悪いわけではなかったし、たまに謎のお手紙もらったりもしていた。

 卒業生を送る会で舞台に上がれば、三年生のおねーさま複数からの、

「(せーの)らんちゃ~ん!」

というご声援が飛ぶ始末。

 女子からの声援飛んでた女子って、あたしだけだったんですけど……あの頃から既に妙なフェロモン分泌しちゃってたんでしょうか?(続く)

人気ブログランキングへ
☆人気ブログランキング携帯投票☆

「東京都青少年健全育成条例改正案情報☆現段階でのまとめ」

Posted on 2010/04/15 Thu. 16:49 [edit]

あたしが食べたいのは食べ物じゃない!~化けの皮~ 

レミーマルタンVSOP

 学校でだっていじめられていたのに、なんであたしが不登校児にならなかったかというと、母が怖かったからだ。

 休んでも田舎じゃ行き場はないし、学校休んだのがばれたら、母にどれだけ怒鳴られ殴られるかと思うとそっちの方が恐怖だった。

 とりあえず、学校でやられるいじめ程度のことは、あからさまなことをやられればやり返せばよかったわけで、あたしの方も一方的にやられっぱなしというわけではなかった分マシだった。

 殴られたら殴り返せる相手なんか怖くない。

 一方的に殴る蹴るされるなんてことは、少なくとも学校ではなかったから、家にいるよりは学校行ってる方がまだ安全だった。

 生活指導の先生が竹刀持ち歩いていて、教師による体罰なんてあって当たり前って時代だったから。

 当時はうちの学校が市内で一番荒れていて、女子トイレで「女子生徒による全裸にひんむきリンチ事件」なんかもあったとはいえ、毎日のように窓ガラスが割られているという今ほどひどくはなかった。

 当時は、まだ教師の方が強かった時代だったから、何かあればすぐ生徒を処分出来たからだ。

 校内はあたしにはとりあえず安全地帯だった。

 持ち物検査の時の「没収対象物の預かり」を引き受けていたあたしには、当時「不良」と呼ばれていた女子生徒たちは手出しすることはなかったし、いいこちゃんしている偽善者組よりは気さくに友達づきあいしていて、マニキュア落とし忘れて来た子にはよく除光液を貸してあげていた。

 学校指定のかばんの中の巾着袋は、

「生理用品です」

とあたしがうつむいて恥ずかしそうに小声でそう言えば、持ち物検査の時でも中まで見られはしなかったから、校則違反の持ち物を他の子から預かっては手縫いの巾着袋の中に隠していたけど、卒業するまで一度もばれなかった。

「服装や頭髪の乱れは非行の元」

なんて固定観念でもって生徒を見かけで判断している教師には、あたしの化けの皮の下の本性は見抜けはしなかったのである。

 あたしは、服装・頭髪は校則通りのまじめスタイルで、礼儀正しくしてさえいれば、持ち物検査は甘めになるってことを知っていたから、学校内での見かけはまじめにしていたけど、実際には中学生になってすぐに化粧して外出するようになっていた。 

 お酒もタバコも小学生のうちから手を出していたけど、タバコは中学でやめていた。

 不眠に悩まされていたあたしは、お酒は睡眠薬代わりに寝酒に飲む習慣が中一で既に身についていたし、親にばれても家庭内飲酒は親公認になっただけだった。

 理由は、外で飲まれて問題起こされるより、家の中でこっそり飲ませておいた方が問題にならないから。

 それと、我が家は代々のんべの家系であったため、飲酒に関してはわりと寛容な家庭であったから。

 ちなみに、物心ついた頃から、元旦には毎年お屠蘇飲まされ、誕生日には祖母が作ったぶどう酒飲まされて育ったあたしの当時の寝酒は、父が戸棚の奥に隠していた頂きもののレミーマルタン。

 中学生の頃のあたしは、ブランデーを寝酒にストレートで飲んでいたのである。 

 あれだけ、食事に関することでは怒ってあたしを殴った母が、末の妹のチクリによりあたしの飲酒発覚した時には殴らなかったのは、お正月と誕生日にお酒を飲ませて育ててしまったからなのかは不明。

 道徳的観念から子が親に手をあげてはならないと思っていたから、あたしは子供の頃から母に殴られても殴り返そうとは思わなかったし、母は我が家の最強絶対権力者だったから、あたしは母をとても恐れていて刃向かうことなど出来なかった。

 父も怒ると怖かったけれども、父を怒らせないようにするのは簡単だった。

『お父さんがテレビを観ている時にはおとなしくしていること』

『お父さんが家にいる時には騒いだりしないこと』

 この二点さえ気をつけておとなしくしていれば、

「うるさい!」

と父に怒鳴られることはなかったからだ。 

 父は自営業で共稼ぎの母に子育ても教育も家計のこともすべて家庭のことは任せっきりにして、

「知らん!家のことはおまえがなんとかしろ!」

となにかあっても家の中のことは母に全部押しつけて、自分は仕事が終わった後も、それに関係している委員の会議やら、党員として政治活動の応援に出かけて行くことが多かった。

 うちは父親はいても実質父親不在の家庭といっても過言ではない状態だったのだ。

 いや、なまじいるだけに「本当にお父さんのいない母子家庭」よりも始末が悪かったかもしれない。

 いるから母は父を頼りたかったのに頼れなくて、その鬱憤を子供に……一番父に似た容貌と性質を持つ要領の悪いツッコミどころのある長女のあたしにぶつけた。

 いないならいないなりに自分で納得してなんとかしようと思ったのかもしれないけれども、母はいても不在な頼らせてくれない父を恨んで、あたしが小学生の頃から高校卒業するまで子供のあたしに愚痴り続けた。

 あたしは、父の身代りにされたのかもしれない。

 だけど、父や祖母や父方の身内に対する恨みつらみ聞かされ続けて育ったあたしは、

「結婚すると苦労するし、なんだか幸せにはなれないみたいだな。それなら……あたしは結婚はしたくない」

と小学生のうちに「結婚生活」というものに悲観的固定観念を持ち結婚願望を持てない娘になった。

 うちみたいな家庭に自分の子供が生まれてくるのだとしたら、子供がかわいそうだった。

 そんな家庭なら作らない方がいいと思った。

 あたしは母の娘でもあるわけで、子供に母と同じことを絶対にしない保障はないし、もしかしたら同じことをやってしまうかもしれないという不安感もあったからだ。

『自分がやられたから同じことをやり返してやる』

という構図は既にあたしの中にも出来上がっていたし、時々抑えようのない凶暴な自分が顔を出すことにも気がついていた。

 自分が半分同じDNAを受け継いでいる父親やその身内のことを「血筋」という観点で難癖つけられた日には、その父の娘でもあるあたしも同時にダメ出しされているようなもので、子供ながらに自分自身が責められているようないたたまれない思いをあたしがしていたなんてことには母は気づきもしなかっただろうけど……。

 それでも、あたしはそんなかわいそうな母の愚痴を聞き続けた。

 そういう母も外づらは大変よろしく、

「優しそうなお母さん」

とよその人には言われていたが、あたしは誰にも本当のことを言えなかった。

 父が家庭放置して外づら良くよその人のためにあれこれしてきたそのツケは、後日、娘たちが成長してから回って来た。

 子育てに失敗した母は、

「育て方間違えた」

と後に精神を病んだ娘のあたしに向かってそう言った。

 あたしは、製造主の一人に欠陥品認定されたあの瞬間、何かが自分の中で崩れていくような感覚に襲われた。

 そして、もう化けの皮を被り続けるのはやめにした。(続く)

人気ブログランキングへ
☆人気ブログランキング携帯投票☆

「東京都青少年健全育成条例改正案情報☆現段階でのまとめ」

Posted on 2010/04/16 Fri. 23:52 [edit]

あたしが食べたいのは食べ物じゃない!~処女王デビュー~ 

ローズキャンドル

 精神科初診でついたあたしの病名は「神経症」だった。

 最初は、勤務時間中に胃の痛みを感じるようになって内科受診。

 薬の量はどんどん増えていったけれども、あたしの胃の痛みはおさまらなかったし、酷くなる一方だった。

 検査しても内科的胃痛の原因となるものは見当たらず、「神経性の胃腸炎」と内科医には言われていたものの、5月の自分の休日に、

「死にたい…」

と受診中に泣きながら言ったその日に入院することになった。

 とりあえず、田舎から家族が駆け付けるまでの自殺防止の保護扱いで……。

 母が病院へ到着した次の日には、今まで通院していた内科からの紹介状付きで、よその精神神経科の病院へ搬送された。

 診察の結果、一ヶ月の療養が必要という診断が下ったため仕事は辞めた。

 契約社員の身では、一ヶ月の休暇など取れはしなかったため、上司に自主退職を迫られたら辞めざるを得なかった。

 今思えば病気の発症はもっと前…学生時代からだったのではないかとは思われるのだけれども、あたしは自分が病気だとは思いもしなかったから、この時まで精神科へ行ってみることは考えてもみもしなかった。

 病気の症状による事柄を、ずっと自分の努力や辛抱が足りないせいなのだと思い込んでいた。

 けれども、それはどうやら違っていたようだった。

 あたしは確かに病んでいた。

 前年の11月にあたしを一番にかわいがってくれていた祖母が亡くなり、ぽっかり空いてしまった心の穴は何をしても埋まることはなく、あたしは高価な買い物をするようになっていった。

 物なんか買ったって、あたしの心にぽっかり空いてしまった穴をふさぐことなど出来るわけがなかったのに……。

 職を転々としていたあたしは、当時フロント兼事務…実質は何でも屋状態で働いていた小さなホテルには、最初は住み込みで働いていた。

 仕事以外にプライベートな部分についてまで、寮のお局様と支配人の奥様からいびられまくっていた。

 その上、経理担当していた子が辞めた後、欠員募集無しであたしにその子の分の仕事も任されるようになったため、仕事は倍以上に増えて、毎日サービス残業三昧で、かなり精神的にまいってもいた。

 辛抱し続けてはいたのだけれども、そのうちあたしは寮を出て、職場の近所のマンションに引っ越した。

 理由は寮生活から逃げ出したかったからではなく、男を囲うためだった。

 ずっと片思いしてた彼が仕事を辞め、自分の部屋を引き払うと言いだし、他の女のところに行かれたくはなかったあたしは、迷わず彼のために部屋を借りることにした。

 短期間で手際良く部屋を借りる手筈を整えると、新しいシングル布団を二組買った。

 前の彼女と一緒に寝ていた布団なんて穢らわしい物は、あたしの部屋には絶対に持ち込んで欲しくはなかったからである。

 先に彼を新しい部屋に住まわせておいて、あたしはこそこそと少しずつ荷物を部屋に運び込み、少し落ち着いた頃に新しい部屋に引っ越した。

 実は、彼を部屋に囲った時点では、何もなかった。

 彼を囲う→初めて好きな人とキス→変則的同居生活…なんて順序も方法もなんだか激しく間違っているような付き合い方を開始してしまったのである。

 しかも、同じ部屋に布団を並べて寝ていても何もなしな状態が続いた。

 あたしのガードの堅さやら、予防線の張り方にも問題があったのかもしれないけれども、途中、お互い出稼ぎに行ったりしたりもして、一緒にいなかった時期もけっこうあったりもしたものだから、気がついたら一線越えるまでに二年経過していた。

 キスもハグもするけど、隣で寝ていてもセックスはしない。

 そういう状態でも平気だったのは、彼の方は他の女としてきていたからなんだろうとは思ってはいた。

 それでも、あたしはそれでかまわないと思っていた。

 そばにいてくれさえすれば、それでいいと思っていた。

 三度(別人)のレイプ未遂被害に遭いながらも、とりあえず処女膜だけは無事に張り付かせたままでいたような耳年増女には、正直言ってセックスはいらなかった。

 大好きな彼が隣にいてくれさえすれば、それでいいと満足してしまっていたから……。

 キスやスキンシップを求められても、トラウマ抱えていたあたしは、大好きな彼氏相手でも恐怖感と男性に対する性的生理的嫌悪感は消えることがなく体が拒絶反応起こしてしまっていた。

 背後から抱きつかれたりすると、背後から襲われた記憶がフラッシュバックしてパニック状態に陥った。

 二年経過してようやく彼に触れられても、震えや鳥肌が立たなくなってきた…なんて状態だった。

 けれども、そんなあたしに転機がやってきた。

 祖母の死以来、浪費癖が身についてしまっていたあたしは、借金までこさえてしまい、お金に困って処女のまま風俗バイトをする覚悟を決め、なんとSMクラブへ面接に行ってしまったのである。

 ところが、面接に行った店のマンション内にある事務所では、系列店のSMバーで欠員が出るから、8月からカウンター女王様のバイトをしてみないかと持ちかけられ、あたしはSMバーから女王デビューすることになってしまった。

 最初はわからないことだらけだったけれども、SMバーでのバイトは楽しかった。

 基本は普通の水商売のカウンター業務と大差なく、ボンデージ着て水割り作ったり、お酌したりしながら、SMやフェチ系の変態話をしていればよかったから。

 普通の飲み屋のバイトよりも、お客様はSもMも礼儀正しい人が多く紳士的だったため、仕事はしやすかった。

 しかも、トラウマ克服する方法をあたしはそこで発見してしまった。

 受身はダメでも攻めならOKなことに気がついたのである。

 自分が触られることには生理的嫌悪感を感じるくせして、相手を責め立てることは平気だった。

 高校時代の愛読書は沼昭三著作の「家畜人ヤプー」と父が隠し持っていた官能小説雑誌であったあたしには、元々素質やら素養はあったのだろうけど、そこのSMバーでまたたくまに売れっ子女王様になった。

 店の売り上げは、通常はお盆の絡みで売り上げが落ち込むと言われているススキノで、初月で前任者の二倍以上の数字を売り上げた。

 噂を聞いてわざわざ東京からやってきたMのお客様やら、当時SM雑誌によく載っていた東京の某有名女王様まで店にやってきたりもした。

 地元のSMクラブの女王様やM女や風俗嬢、ゲイやビアンもやって来て、SMバーというよりも、セクシュアル・マイノリティーの隠れ家的店と化していった。
   
 アブノーマルと一般的に言われることには、特に抵抗感も嫌悪感もなく、馴染んでいったあたしは、

「普通になりなよ」

と学生時代に友人に言われるのが一番つらかった人種だったから、なんだか居心地のいい場所をみつけたような気がしていた。

 あたしには、家族や友人の言う「普通」ということが、感覚的にわからなかったから……。

 あたしの思っている「普通」はことごとく否定され、うわべだけ普通と言われる子の真似をする努力を続けていただけだったものだから、SMバーの女王時代のあたしは水を得た魚の如く生き生きと仕事していた。 

 しかし、誰もあたしが本当はノーマルセックスの経験値ゼロの処女であることには気づかなかったため、あたしは常連さんたちからの3Pやら店外プレイのお誘いを断るのには少しばかり苦心していた。(続く)

人気ブログランキングへ
☆人気ブログランキング携帯投票☆

「東京都青少年健全育成条例改正案情報☆現段階でのまとめ」

Posted on 2010/04/19 Mon. 02:15 [edit]

あたしが食べたいのは食べ物じゃない!~愛憎と狂気~ 

シンセサイザー

小学生の頃、あたしは悩んでいた。

「死にたい」

じゃなくて、

「どうして生きていなくちゃいけないんだろう?」

って。

 あたしには、生きていることの意味だの、命の尊さなんかはわからなかったから。

 既に厭世的思想に取り憑かれ、人ではない者になりたいとさえ思うようになっていた。

「人間なんて」

と思い、自分自身も嫌悪して、人間ではない者になりたくなっていた。

 その頃のあたしの友達は、本の中のお化けや妖怪たちだけで、家庭の食卓はほとんど地獄だったから。

「大嫌いな生野菜を無理矢理口こじ開けて食べさせられるくらいなら、人肉食らう方がまだマシだ!」

と本気で思った。

 人として生きているのが苦しくなっていた小学生のあたしは、人ではない存在に惹かれていった。

 けれども、祖母に、

『人間なんて』

と書き連ねた詩をうっかり見られてしまった時には、あたしは動揺した。

 あたしは、自分を恥じた。

 あれは、祖母にだけは見られたくなかったものだったから……。

 家庭内であたしのことをまともに人間扱いしてくれたのも、可愛がってくれたのもおばあちゃんだけだった。

 そのおばあちゃんに、あんなひどい言葉を書き連ねたものは見せられなかった。

 あたしはその詩を書いた紙をあわててグシャグシャに丸めてゴミ箱に捨てた。

 当時はまだ学校でも習っていなかったから、知らなかったけれども、

『人間の尊厳の尊重』

というものを家庭内であたしに対してしてくれていたのは、祖母だけだった。

 かろうじて、あたしが人でいられたのは祖母のおかげだった。

 毎晩、眠っている妹の枕元に立っては、

「首を絞め、殺してやりたい!」

と思っていたあたしは、あともう一歩で殺人鬼になっていたところだった。

 めんこくない(北海道弁で『かわいくない』の意)妹が憎かった。

 両親に甘え可愛がられ、姉にはわがまま放題な末の妹は、あたしには憎ったらしいことばかり言ってきた。

 何をやってもあたしよりも優れている要領のいい一つ下の妹がいたものだから、よく母はあたしと出来のいい妹を比較して、あたしのダメっぷりをあげつらって妹たちと一緒にあたしのことを馬鹿にした。

「いなくなればいい!」

と思った。

 妹たちが憎かった。

 子供にだってプライドはある。

 それを踏み付けにされ、我慢の限界越えたら殺意を止められなくなる。

 それでも、食卓でそっとあたしのお皿に祖母が自分の分のお肉を乗せてくれるのがうれしかったから耐えられた。

 偏食の激しかったあたしの好きな食べ物はお肉だった。

 祖母は、他の孫にやることなく、あたしのお皿にしか自分の分のお肉を乗せなかった。

 祖母が一番可愛がってくれていたのは、間違いなくあたしだった。

 両親に可愛がられない不器用な長女だったあたしは、

「あたしは、おばあちゃんにだけは一番に愛されている」

という自信でもってかろうじてバランスを保っている状態だった。

 けれども、小二あたりからたびたび衝動的に学校内で自殺未遂騒動を起こすようになっていたあたしは情緒不安定にはなっていた。

 母に愚痴で祖母の悪口をたくさん聞かされるのが、おばあちゃん子のあたしには苦痛だったのだ。

 もちろん、祖母には母があたしに言ったことは言わなかった。

 言ってはならないことだと思ったから……。

 祖母が聞いたらショックであろうその内容は、祖母には決して聞かせられなかった。

 祖母はあたしに人の悪口など言わない人だったから、

「お母さんが言ったことは、おばあちゃんには絶対に言えない」

とあたしは子供ながらにそう思った。

 そんなあたしは自分自身は、

『生きること』

に執着出来なくなっていたくせして、

「おばあちゃん、長生きしてね。百まで生きてね」

と祖母に言い続けたのは、唯一無二のそれを無くすのが怖かったからなのかもしれない。

 あたしが正気で生きていくためには祖母の「無償の愛」が必要だってことに、あたしは狂う前から気づいていたのかもしれない。

 だけど、祖母は認知症が進行して、あたしが進学して札幌に行ってから、特別養護老人ホームに入れられ、入所中ひどい扱いを受け完全に寝たきり状態になってしまった。

 入所時は自力歩行も身の回りのことも自分で出来る状態だったのに……。

 それでも、祖母は頑張って八十歳まで生きてくれた。

 あたしは、祖母はあたしのために生きてくれたんだと思っている。

 祖母の死後、あたしは本当に狂ったから……。

 あたしは本当は治らぬ病を発症していた。

 昔は狂人として座敷牢に閉じ込められた時代もあったという、その病の名は躁うつ病という。

 札幌で昼間の仕事を辞めた時は「神経症」と診断されたが、あれは本当は躁うつ混合状態であったのではなかろうかと疑っている。

 一ヶ月の療養後、短期のバイトや派遣の仕事にちょっと行っては辞めを繰り返していた頃はうつ状態だった。

 いよいよお金に困ってSMバーで働くようになったあたりは、たぶん軽躁状態になっていて、周囲からは調子の良い元気な状態と思われていた。

 軽躁時のあたしは、明るく元気で、積極的で、頭の回転が速く、多弁である傾向にあり、水商売に向いている性質が前面に押し出されるからである。

 休まず仕事しても平気で、夜19時~朝4時までの営業を終え、帰って横になったら、朝の9時には近所の等価交換のパチンコ屋にいた。

 睡眠時間は、3、4時間程度。

 とにかく、部屋の中でじっとしてはいられなかったから、常に出歩いていた。

 その頃、彼氏には新しい合鍵は渡していなかったから、一人で好き勝手な生活をしていた。

 前の年に彼が、

「愛知県内の工場へ出稼ぎに行ってくる」

ということ以外は何も告げずに出稼ぎに行ってしまったのが面白くなくて、あたしはちょっとの間でも一人暮らししてみたいという友達に部屋を貸して、部屋の鍵を新しいものに付け替えてから長野県の松本市に短期の出稼ぎに出かけてしまったからだ。

 荷物もギターもシンセサイザーも預かったままでいたから、彼は札幌に戻ってきたら、あたしの部屋には必ず帰って来るとは思っていたけど、出稼ぎ中一度も電話の一本もかけてこなかったのが恨めしかった。

 連絡先がわからなかったから、喘息の発作起こしたりしてやしないかと心配に思っても、あたしからは連絡取りようがなかったから……。

 以前、彼氏のバンド仲間と付き合っていた女友達は、

「そんなもの捨てちゃえばいいのに」

と極めてドライな口調でそう言ったけれども、あたしは彼には大切なはずのギターもシンセも捨てられなかった。

 その頃は自分の才能のなさに絶望して断筆中であったとはいえ、妹からの手紙は捨てられても、自分の小説原稿は捨てられないなんて人種だったあたしには、音楽から離れることなど出来ない彼の大切な物を捨てるなんてことはとてもじゃないけど考えられなかった。

 当時、彼の親友はメジャーデビューして東京で音楽活動をしていた。

 東京に来るように彼を誘ってくれていたのに、家庭の事情などを考えると北海道を離れて東京へ思いきって行くことは出来ずにいた彼は、小遣い銭稼ぎにゴーストソングライターをしていた。

 友達に曲を作って欲しいと頼まれて、自分の名前が出ない曲を作っていた。

「東京行っちゃえば?」

じゃなくて、

「東京行くよ!」

とあたしは言うべきだったのかもしれない。

「食えなきゃ、あたしが食わせてやるから、行ってみよう!」

くらいの強引さでもって札幌から連れだしてしまえばよかったのかもしれない。

 札幌には、もう彼の良き友はいなかったし、正直言ってまともな友達は残っていなかったから……。  

 ある日、部屋に帰ってみたら、使えなくなった前の合鍵が玄関内に放り込まれていた。

 そのうち来るだろうと思っていたら、連絡なしで彼はふらりとやって来た。

 合鍵は渡さなかったから、それ以降は来る時は電話してから来るようになった。

 とりあえず、帰って来てからは男友達のところにいると聞いてはいたけれども、他の女のところにも行ってるんだろうなぁ…とは思ってはいた。

 けれども、休みも取らずに毎日仕事していたあたしは、マイペースで身勝手な彼に再び合鍵を渡す気にはなれなかった。

 連絡先も知らせずに出稼ぎに行き、帰ってくるまで電話一本かけてはこなかった彼を、あたしは許してはいなかったから……。(続く)

人気ブログランキングへ
☆人気ブログランキング携帯投票☆

「東京都青少年健全育成条例改正案情報☆現段階でのまとめ」

Posted on 2010/04/21 Wed. 00:46 [edit]

あたしが食べたいのは食べ物じゃない!~さよなら、あたしの魔法使い~ 

信号

 わだかまりは心の奥底に沈殿していった。

 決して溶けることはない異物として。

 それでも、あたしは、好きで、好きで、どうしようもなく好きなのに、ストレートに表現することなく彼を待ち続ける生活を選んでしまっていた。

 その言葉を口にしてしまえば、自分が崩れ落ちて行くのがわかっていたからかもしれない。

 あたしの恋は「狂気」を孕んだものだったから……。 

 彼からの電話には眠っていても3コールから5コールくらいで起きて出ていた。

 あんまりにも電話に出るのが早いものだから、寝ていたとは思われなかったこともあった。

 合鍵を渡していた頃も、彼がきまぐれに帰って来るような明け方に近い深夜には、あたしは眠っていても必ず起きた。

 エレベーターから一番遠いあたしの部屋の鍵を開けて彼がドアを開けた時には、あたしは玄関先に立っていて、

「おかえりなさい」

と言っていた。

 あたしの耳は彼の足音を覚えていて、マンションの廊下を歩く彼の足音だけで目覚めた。

「起きなくてもいいのに…」

と彼には言われたけれども、起きようと思って起きたわけではなく、自然と目が覚めてしまっただけだった。

 あたしは、恋するたびに、好きな人の足音とか、ドアノブ回す時の間合いの感じとかなんかも覚えてしまっていたし、行動パターンはかなりの割合で把握していた。

 言われなくても察知してしまうことが多々あったわけで、それを「サトリのお化け」みたいで気持ち悪いと気味悪がる人もいれば、心地よく思い馴染んでくれる人もいた。

 唐突に、なんの根拠もなく、

「今、どこそこへ行けば彼に会える!」

という閃きによってそこまで走って行ったこともあった。

 そういう時は、本当に会えてしまって、自分でもちょっとびっくりした。

「恋する乙女は、超能力者になるのよ」

なんて風に友達には冗談言って笑っていたけど、恋している間のあたしの感覚は研ぎ澄まされていて、第六感まで過敏に稼働していた。

 だけど、彼は、あたしに、

「がんばれ」

とは言わない人で、逆に、

「無理しないで」

と言ってくれるような人だったから、自分の限界以上にがんばりすぎてしまう傾向にあったあたしには、ちょうどよかったのかもしれない。

 彼はあたしの魔法使いだった。

 あれだけ偏食が激しかった食わず嫌い女王なあたしに、

「おいしいから、食べてごらん」

という魔法の呪文と笑顔ひとつで、今まであたしが全然食べられなかった嫌いな食べ物を、ちょっと試しに食べてみようかな?という気にさせて、食べられるようにしてしまった。

 ちなみに、嫌いだったはずのしいたけが、今は好きな食べ物の方に入っているのは、彼の魔法のおかげである。

 まだまだ普通の人よりは好き嫌いは多いかもしれないけれども、彼と付き合うようになってから、以前のあたしと比べると、比べ物にならないくらい食べられない物が減った。

 どうして彼と一緒に食事する時は、食べられたんだろう?

 不思議に思う。

 でも、別れてから気がついた。

 あたしが食べたかったのは「あたしのお皿におばあちゃんがそっとのせてくれたあのお肉」だったんだって。

 彼と一緒に食事していた時の空気の中には、あのお肉があったんだってことに別れてから気がついた。

 なぜなら、彼と別れた後は、しばらくの間は何を食べてもおいしくなくなってしまっていたからだった。

 食べられなくなった。

 食欲も感じなくなっていた。

 自分が選んだ別れであったにも関わらず、精神を病んでしまっていたあたしの病状は更に悪化した。

 初診から4年後、あたしはまた精神を病んでしまい、再びメンタルクリニックに通うようになっていた。

 病名を訊ねてもその時の主治医は答えてはくれなくて、代わりに、

「家族の方とお話をしたいのですが…」

と言った。

 そして、札幌まで田舎からわざわざ出向いて来た父に、

「重症です」

と告げたのである。

 何の病気か教えもせずに「重症」とあの医師は言った。

 あたしは、あの時、薬の副作用でメタメタになっていた。

 当時は、メンタルの薬の知識がまるでなかったから、薬の副作用のせいでそういう風になることがあるということを知らなかったあたしは、自分の乳首から乳汁が漏れ出ていることに気づいた時にはパニくった。

「乳がんとか何か悪い病気かも?」

と思い薬を飲む前よりももっと不安になった。

 結局、婦人科へ行って内診やら血液検査をしたら、メンタルクリニックで出されていた薬の副作用で乳汁が出てしまったことがわかった。

 普段の生活では、注意力散漫になっていて、信号も見ずに道を渡ろうとすることがしょっちゅうあった。

 自分でもどうしてそんな風になってしまったのかわからなくて、病気が悪化しているせいだとあたしは思い込んでしまっていた。

 本当は薬の副作用でぼーっとしてしまって注意力散漫になっていたのだけれども、そんなことも無知なあたしは知らなかった。

 信号が赤でも気づかずに歩いて行ってしまうあたしを止めるために、彼は腕を組んで歩くようになった。

 あたしが荷物を置き忘れてはパニくってしまうため、彼はあたしの荷物を持って歩くようになった。

 あたしがどんどんおかしくなっていっても、パニくっても、彼は文句ひとつ言わなかった。

 彼には、高校卒業する前から重度の精神病を患ってしまい、一生療養決定と思われる状態の年の離れたお兄さんがいた。

 だから、そういう状態の人の扱いには彼は慣れていたのかもしれない。

 あたしがパニくると、

「あわてない、あわてない。落ちついて」

と言ってくれた。

 けれども、あたしは、怖くてたまらなくなっていた。

 どんどんダメになっていく自分に不安を感じていたし、彼にがっかりされるような自分を見られたくないとも思った。

 そして…あたしは、がんばっても、がんばっても、今まで普通に出来ていたことが出来なくなっていく不安感と恐怖に負けた。

『これ以上、彼のお荷物にはなりたくないし、彼に落胆されたくない』

 そう思った。

 彼のために何も出来なくなってしまった自分が一番許せなかったあたしは、一番許せない自分から逃げ出してしまった。

 彼が口に出して不満を漏らすことがなくても、あたしは彼のためにしてあげたかったことがきちんと出来なくなってしまった自分自身を許せなかった。

 こんなダメな自分をもうこれ以上彼に見られたくないと思ってしまっていた。

 その結果、自分から彼に別れを告げるという選択をしてしまった。

 だけど、別れても、彼のことが、好きで、好きで、どうしようもなく好きで……あたしは、壊れた。

 暴走した。

 暴飲暴食繰り返し、値札も見ずに買い物し、借金つくっては、がむしゃらに働いて返し、借金返済終わる頃にはまた派手な金遣いでもって新たな借金をつくった。

 それは、躁時の特徴のひとつである浪費衝動によるものだった。

 同病の…躁うつ病患者は、借金と結婚・離婚、あるいは別離や浮気を繰り返し、自分だけではなく、関わった人たちの人生までもめちゃくちゃにしてしまうことがある。

 躁うつ病と拒食と過食嘔吐を繰り返し、あたしの喉には逆流弁なんて本来健康な人間の体にはないものが出来た。

 あたしの喉にある逆流弁は、過食嘔吐で吐きぐせがついたため、吐きやすいように逆向きの弁が喉に出来たもの。胃カメラ飲んだ時に内科で指摘された。

 今は、過食嘔吐で胃が荒れて、食べなきゃと思っても気持ち悪いし、無理して食べても吐く拒食期。

 水飲んでも吐く。

 もう胃の中には吐くようなものは何も入ってないから、酸っぱい胃液と苦い胆汁しか出てこない。

 あたしはあまり眠れない方だから、気持ち悪くて起き上がっていられない時は、日がな布団の中で妄想する。

 食事替わりになる万能サプリメントはかなり本気で欲しいかも?

 目を開けたまま万能サプリメントの夢を見る。

「ただ体を生かしておくための栄養補給ならサプリメントとかでいいじゃん」

 あたしは、あたしの魔法使いとさよならしてしまったから、もう食べたいものなど何もない。

 だけど、拒食期を乗り越えた後にやってくる過食期になれば、また意味もなく胃の中に食べ物を詰め込む作業をあたしはしてしまうのだろう。

 どれだけ食べたって満たされることなどないというのに……

 だって、本当にあたしが食べたいのは食べ物じゃないのだから。(Fin)
 
人気ブログランキングへ
☆人気ブログランキング携帯投票☆

「東京都青少年健全育成条例改正案情報☆現段階でのまとめ」

Posted on 2010/05/19 Wed. 04:43 [edit]

懺悔~ラスト・メッセージ~ 

公園のベンチ

 朝方、ひさしぶりにあなたの夢を見ました。

 夢の中のあなたは今まではいつも優しかったのに、今朝のあなたはたぶん現実で私に言いそうな酷い言葉を吐いて去って行きました。

 一度も訪れることがなかった私の実家までやってきたあなたは、私の実家の窓の下から、

「おまえのせいで何もかもめちゃくちゃにされた!」

と怒鳴ったかと思ったら、すぐに背中を向けて去って行こうとしました。

 私は二階の自分の部屋の窓を開けて、あなたの名前を呼びました。

 一瞬振り返ったあなたは、別れた時の目の下にくまのある疲れきった顔ではなくて、出会った頃の若くてきれいな顔をしていました。

 でも、冷たい目をしたあなたは、何も言わずにすぐに背中を向けて去って行ってしまいました。

 夢から醒めた時、私は泣きながら、

「ごめんなさい…ごめんなさい、ごめんなさい……」

ともう二度と会うことはないであろうあなたに何度も何度も繰り返し謝り続けました。

 私は、あなたの人生を狂わせてしまいました。

 いくら謝っても取り返しのつかないことをしでかしてしまいました。

 あなたとつきあってから精神を病んでしまった私は、あなたに迷惑かけ続けていたのに、あなたは私を見捨てたりはしませんでした。

 でも、私はいつも不安で日に何度もあなたの携帯に電話しました。

 泣きながら話しているうちに、自分でも何が言いたかったのかわけがわからなくなってしまうこともしばしばでした。

 私の調子が良い時に一緒に遊びに出かけても、さっきまで笑っていた私がいきなり泣き出してしまうようなことが増えていきました。

 そんな時はいつも、どこか座れる場所を探して並んで座って、私が泣きやむまで待っていてくれた優しいあなたに私は酷いことをしてしまいました。

 あの冬の公園のベンチでなかなか泣きやまない私の肩を抱いてくれていたあなたの手は、冷たく冷えきっていたはずなのに私の肩先は温かくて、あの私の肩を抱いてくれていた手には確かにあなたなりの愛があったと思うのです。

 愚かな私は自分からその手を離してしまったのに、別れた後も友達でいるなんてことはできなくて、あなたが聞いたらショックを受けるであろうことを、次々とわざとやらかしてはあなたにそのことを電話でしらせました。

 そのうち、あなたがいきなり携帯解約してしまい、私はパニックに陥りました。

 別れると決めたのは私だったし、わざと見捨てられるようなことをしていたくせして、突然あなたと連絡がつかなくなってしまったらショックで暴走しました。

 私が知っていたあなたの他の連絡先は、会社だけだったので、会社にあなた宛ての手紙を書き送りました。

 会社に電話もしました。

 あなたが居留守使って電話に出なくなったら、見捨てられた私は自殺をはかりました。

 しくじって死に損なってしまいましたが、目が覚めたら私はやっぱりあなたに電話してしまいました。

 けれど、会社の電話に出た女子社員の、

「退社しました」

と言う短いひとことを聞いた私は絶望しました。

 会社を辞めてまであなたが私から逃げ出したくなっていたことを知ったからです。

 馬鹿な私はあなたに本当に見捨てられてしまいました。

 どんなに謝っても許されないくらい私はあなたに酷いことをしてしまいました。

 ごめんなさい……

 でも、私を許さないで下さい。

 恨んでくれてかまわないです。

 私を憎んで下さい。

 その感情があるうちは、あなたは私を忘れはしないだろうから……。(Fin)

人気ブログランキングへ
☆人気ブログランキング携帯投票☆

「東京都青少年健全育成条例改正案情報☆現段階でのまとめ」

Posted on 2010/05/20 Thu. 04:55 [edit]

シザーハンズ 



(そういえば、初めてジョニー・デップ見たのはこの映画でしたw)

 一番泣いた映画は『小さな恋の物語』だった。(タイトルの記憶違いなのか該当洋画みつからず)

 蜂に刺されて子供が死んじゃって、小さな恋が終わっちゃった悲しいストーリーだった。

 一番好きだったのは、『シザーハンズ』で……

 どちらも彼が好きな映画だった。

 ほんとは、初めて会った日から惹かれてた。

 でも、彼は友達の彼氏で…友達の部屋で同棲してた。
 
 それでも、あきらめられなかったあたしは、彼が自分の部屋を引き払ってはいないことを聞きつけて、

「普段いない部屋借りてたらもったいないよね?あたしに貸してくれないかな?引っ越し先まだ決まってなくて困ってるの。家賃はちゃんと払うし、荷物はそのまま置いておいてもらってかまわないし、曲作りする週末はあたしはどっか友達のとこ泊めてもらうから今まで通りTくんが部屋使って」

と相手には好条件提示して、わりと強引に友達の彼氏の部屋を借りてしまった。

 もしも彼女と別れることがあっても、「彼女の友達」なんて間接的な関係ではなく、「彼の友達」という直接的な関係を構築しておけば、あたしは彼とは切れずにいられる。

 そんなことを考えて、彼の部屋をまた借りすることによって、あたしは保険をかけた。

「その辺のビデオ観てていいから」

と彼に言われて一人の時ヒマつぶしに観た映画。

 ダビングじゃなくて、ちゃんとオリジナルの販売パッケージだった。

 まさか映画であんなに泣けるとは思わなかった。

 繰り返し観たけど、何度観ても泣けてくる。

 しかも、他の映画のビデオもなぜか純愛物ばかり!?

 キャラじゃないよ。

 部屋ん中、音楽機材以外はUFOキャッチャーで取ってきた大量なぬいぐるみ屋敷だったし(笑)

 かわいくて、かわいくて、はまっちゃった…彼に。

 だけど、腹黒かったあたしは、計算ずくで部屋の掃除や模様替えして、彼が入れ代わりで部屋を使う週末に快適に過ごせるようにしていった。

 埃まみれになっていた音楽機材を乗せてた鉄の大きな本棚、何回拭き掃除しただろう?

 三度拭きしても真っ黒になる雑巾見て、

「部屋の掃除しにくるような女は今までいなかったみたいね」

 うんざりするより、あたしが戦えるジャンルにおいて敵はいなさそうであることに心の中でにんまりしてた。

 すっかりきれいになったお部屋と玄関先までお出迎えに出たあたしを見た彼は、

「内縁の妻みたい」

とうれしそうな顔してそう言った。

 彼女と別れたいんだけど迷ってる…という素振りを見せて相談してきたら、

「別れたいんなら別れちゃえば~」

と彼の背中を押した張本人はあたしだった。

 純愛なんかじゃなかったけど、友達裏切ってでも欲しかった。

 別れる後押しどころか、彼女を実家へ強制送還するところまで裏工作したのはあたしだったし。

 数年後、どうしてもあの時手離したくなかった愛しい人に、病んで制御出来なくなった自分に不安を感じ、自分からさよならを告げるなんて皮肉な結果に終わったのは……あの時の罰が当たったのかな?

 だけどね、いろいろあったけど、それなりに幸せだった頃に見た映画観るとまだ泣けるんだ。(Fin)

人気ブログランキングへ
☆人気ブログランキング携帯投票☆

「東京都青少年健全育成条例改正案情報☆現段階でのまとめ」
-- 続きを読む --

Posted on 2010/05/29 Sat. 07:50 [edit]

仕事中に元カノに彼氏をお持ち帰りされても職場放棄は出来ません! 

0720fyw62wqh43PNy4INaS.jpg

 時給1700円のバーカウンターのバイトで、一人で店内業務全部任されて店の鍵渡され、店の開け閉めから仕入れ発注、売り上げ集計まで一通りやってた頃、定休日がなかったからあたしは休みも取らずに毎日仕事してた。

 借金あったから休まず働いて早く借金完済したかったのもあったけど、仕事出てる方が楽しかったから。

 入店してからしばらくの間は会社の主任がマスターとして店に来てたけど、あたし一人でも大丈夫そうだと判断されてからは一人で店を切り盛りするようになっていた。

 入店一ケ月で前月の売り上げの倍額売り上げ上げて、

「らんちゃん、すごい、すごい!」

と会社側から褒められちゃったもんだから、ちょっとばかし調子に乗ってしまった。

 時給で働いているだけのバイト待遇だから、売り上げ上がろうが下がろうがあたしの給料は変わらないっていうのに、休まず出勤して店開けて客を逃がさないようにしたり、あれやこれやと自分で出来る範囲内で工夫もした。

 会社側に店のことで改善する必要があることに関しては意見して変えてもらったりもしていた。

 店の売り上げ落としたくなかったし、もっと上げてやる気でいたから。

 あたしに課せられたノルマなんかはなかった。

 それ以上がんばる必要性なんかなかった。

 それでも、負けず嫌いなあたしは、顧客増やして店の売り上げ上げて勝ち続けることが楽しくなってしまっていたもんだから、うっかり彼氏をほったらかしにしてしまっていた。

 たまに店がひまな時に彼氏を店に呼んだりはしてたけど、休みなしで働いていたもんだから、そういえばデートもしてなかった……と気がついたのはずいぶんと後になってからだった。

 ある日、彼氏の元カノが店に遊びに来たんだけど、彼女と別れた後にあたしが彼と付き合ってたこと知らなかったもんだから、元カノはなんとあたしの目の前で電話で彼氏を呼び出してしまった!

 以前から元カノとあたしも友達付き合いがあったから、元カノも店に遊びにやってきたわけなんだけど、彼氏が元カノとまだ連絡取り合ってたの知ってちょっとむかついた。

 でも、それだけでは済まなかった。

 呼び出された彼氏が居心地悪そうにいつもと違って言葉少なに飲んでいるもんだから、

「友達んとこのメンパブ行こう」

と閉店間際の時間に元カノが彼氏誘って二人で飲みに行ってしまったのだ。

「行かないの?」

と一応気にしている素振りの彼氏に訊かれたけど、

「まだ仕事残ってるから」

と答えてあたしは行かなかった。

 次の日、酔っ払って店までやってきて昨夜彼氏食った報告しにやって来た元カノは、彼氏とあたしがその時付き合ってたのに気づいていたとしたら、相当性格悪くなってたと思われる。

 あたしと違って元カノは、腹にイチモツあるようなタイプじゃないから、知らずにベラベラと昨夜のことを話していたのだとは思うけど……。

 あたしは素知らぬ顔してあくまで「今の本カノはあたしだから!」なんていうのはお首にも出さずに、カウンター越しに酔っ払い元カノの戯言聞いてやってたものの、

「前よりやさしくなった」

とベッドでのことまでベラベラしゃべりだしたあたりで、「そんなこと人にしゃべるもんじゃないだろが!この色ボケ女!!」と一瞬はらわた煮えくりかえったのを「下品な女」と氷点下レベルのさげすみモードに切り替えて、

「あ、そうなんだー」

とあたしゃ男も何も知りませんと言わんばかりの必殺イノセントスマイルで応戦した。

『彼氏が前よりやさしくなったのはね、あたしと付き合うようになったからなの!あたしの逆調教の賜物なんだからね!!』

なんて内心思ってても言わなかったけど。

 さすがに仕事中にアレはきつかったな。

 逃げようがないから…ってか、女の子があんなにあからさまにセックスの内容ぶちまけて話すもんなの?

 正直、びっくらこいたっていうのもあった。

 少なくともあたしの周囲のまともな女友達はあんなこと話さないし、それが淑女のマナーってもんでしょう?

 お悩み相談ならわかるけど、

「元カレとやってきたら、以前とはセックスのやり方が違っててよかったの~」

なんてことは普通あからさまには話さんでしょ?

 彼氏いるくせして、ホストに色られて「チューされちゃったぁ」なんてキャピキャピ喜んじゃってるようなアーパー女には「羞恥心」というものはないわけ?

 ああ、あったら元カレを自腹でホテルに連れ込むなんて暴挙には出ないわなw

 いつもは楽しい仕事場で二日連続不快な夜を過ごした。

 ほんとは…あの時二人で飲みに行かせちゃったら、それで終わらないのわかってた。

 わかってたのに仕事ほっぽって行けなかったあたしが悪い。
 
 悪い予感が、よりによって元カノの自白でもって確かな事実として目の前に突き付けられてもあたしは怒れなかった。

 彼氏責めるどころかその件は彼氏の前では触れもしなかったけど、後になればなるほど仕事適当に終わらせて一緒に飲みに行けばよかったと後悔した。

 あの時「完璧な仕事」する必要性なんかあったのかな?

 彼氏よりも優先しなくちゃならない、どうしてもすぐに片づけてしまわなければならない仕事なんてあったのかな?

 それでも、あの時のあたしには、元カノと二人きりで飲みに行っちゃう彼氏の背中見送るのが不安でたまらなくて、胸が引き裂かれるような思いをしても、仕事最優先することしか選べなかった。

 店を任されている責任感は絶対不動だったし、ほんのちょっとでも…1パーセント程度でも彼氏のこと信じたかったし、その1パーセントに賭けてみたいような気もしていたから……。

 だけど、あまりにも予想通りな展開でもって裏切られて、賭けに負けたあたしは一人になった時、狂ったような自嘲の笑いが止まらなかった。
 
 そして、その日を境にあたしの病みはまた深くなっていった。

 心身不調が激しくなり、仕事にも支障が出るようになり、クリスマスには店を辞めていた。

 冬の間、ほとんど寝たきりな生活していたあたしは、完全にうつに落ちていた。

「まだ仕事しないの?そろそろヤバイんじゃないの?」

 彼氏が調子悪くて喘息の発作出たりもしてた時、お布団と仲良ししてても、何も言わなかったあたしに、彼氏は早く働けと言った。

 あたしだって焦っていたのに……。

 だけど、本当にどうにもこうにも調子が悪くて、外に働きに行ける状態ではなかったあたしには、布団の中に潜り込んだままで、枕元の電話機ひとつでテレフォンレディーの在宅バイトをやっとの思いでこなすことしか出来なかった。

 電話で話したくない。

 誰にも会いたくないし、話したくもない…そんな日も多々あった。

 そういう状態のあたしに彼は早く仕事するように言ったわけで…あたしは半ばやけくそで、雪のないちょっとは暖かい土地に転地療養も兼ねて出稼ぎへ行く覚悟を決めた。

 そして、部屋を引き払い、この機会に彼氏と別れることもちょっとは考えつつ、あたしは浜松へとひとりで出稼ぎに飛んだ。(Fin)

人気ブログランキングへ
☆人気ブログランキング携帯投票☆

「東京都青少年健全育成条例改正案情報☆現段階でのまとめ」
-- 続きを読む --

Posted on 2010/05/30 Sun. 08:25 [edit]

電話 

電話

 あたしは自分から電話することはほとんどない。

 用がなければ電話しない。

 ひまつぶしに電話するという行動パターンは、あたし的には「無いな」というパターン。

 だから、用もなさげな時に電話するパターンは、実は無言のSOS発してる時。

 相手が気づいてくれなかったら言い出せずに終わる。

 ずっと我慢し続けてたけど、つらくて、つらくて……吐きだしてしまいたくなって、とうとう電話してしまったという時に、友達に延々と愚痴聞かされて終わったこともあった。

 あたしが本当に言いたかったことは何も言えなかった。

 故に、長電話と言えるほどの長電話は普段はしない。

 だけど、ちょっとだけ思い出すことがある長電話の想い出はある。

 1998年のGW、元X JAPANのhideの訃報をテレビで知った時、信者クラスの熱烈なhideファンであった女友達にではなく、真っ先に彼氏に電話してた。

 当時、札幌に彼氏を置いて一人で出稼ぎに出かけていたあたしは、

「もう、こんな苦しいのやだ…距離を置いてみれば、別れられるかな?」

 そんなことも考えて浜松まで出稼ぎに行っちゃってたくせして、hideの訃報でもう目の前真っ暗に……というよりも、酔っ払って帰って来たのを着替えさせてちゃんと布団に寝かせたはずの彼氏が、目が覚めたら隣にいなくて、バスルームの前で全裸で寝ゲロ吐いて倒れているのを発見した時のことを思い出してしまってぞっとした。

 彼氏は喘息持ちだったから、発作を起こしてる最中にゲロ吐いて、呼吸困難でご臨終コースもありえたわけで、

「生きてる…よね?」

と最悪のパターンだけは考えたくはなくて、生存確認するまでは怖くて怖くてたまらなかったあの時の感覚がよみがえってきて…気がついたら彼氏に電話してた。

 結局、あの時、何時間電話してたのかは覚えてない。

 たぶん、あたし的最長長電話記録。

「朝起きたら、冷たくなってたりしたら…ショックだろうね(っていうより絶対やだ!)」

 そんなようなことは言ったような気はするけど、あの時何話してたのかはもう覚えてない。

 ただ、覚えているのは、彼のこと、

「(あたしが生きているうちは)絶対死んで欲しくない人」

 そう思ったことだけ。(Fin)

人気ブログランキングへ
☆人気ブログランキング携帯投票☆

「東京都青少年健全育成条例改正案情報☆現段階でのまとめ」

Posted on 2010/05/31 Mon. 02:54 [edit]

白の天使と黒の悪魔とグレーのあたし 

堕天使


「心の中に天使と悪魔がいて苦しいってことなのかな?」

 ある時社長に言われたのがそんな言葉だった。

 昔、お世話になった店の社長は、あたしが病気療養で休養中も電話で相談に乗ってくれていた。     
   
 昔から相反する思考に振り回されていたけど「天使」と「悪魔」とまでは自分では表現しなかった。

 悪魔の方ならしっくりくるんだけど、周囲の評価は天使寄りなのが苦しいところだったからなのかもしれない。

 自分がそんなおきれいなものじゃないのは、自分が一番よくわかっていたから。

 どちらも本当の気持ちのはずなのに、真逆のその思考には妥協点はみつからなかった。

 ある時点までは、天使寄りの人格で生きてきたものの、その結果心の病で病気療養のための休養を必要としたあたしはとうとう悪魔を解き放った。

 裏に押し込められて希望とは真逆の選択を強いられ続けてきた悪魔の方のあたしは短期間で堕ちていった。

 あの時、彼氏と別れておいたのは天使の方のあたしの最後の抵抗だったのかもしれない。

 悪魔のあたしを見せたくなかったのか?

 それとも、彼を傷つけたくなかったのか?

 どちらもだけど…彼に「落胆」されるのが一番イヤだったのかもしれない。

 別れてから、電話で話してた時に、

「変わったね」

と言った彼のまさしく落胆の色を帯びたさびしそうな声を聞いたら泣きたくなった。

「泥にまみれたこともないくせに!」

とあたしに罵声を浴びせた張本人がいざ元カノが泥にまみれてみせたらそれだ。

 泥にまみれたことなんかなさそうなおきれいな生き方してきたあたしにいらついてたくせして、本当に泥にまみれてみせたら今度は「おきれいなままのあたし」を懐かしむわけですか?

 勝手な話だ。

 でも、元のあたしにはもう戻れない。

 こうなるのがわかっていたから別れを告げておいたのに、未練たらしく別れた後も彼からかかってきた電話になんか出なきゃよかった。

 電話越しにでも変わってしまったあたしを知られてしまった。

 そして、あまりに予想通りの彼の反応。

 これを回避するために別れたはずなのに、悪魔の方のあたしは彼を傷つけるためにわざと、

「誰のせいで変わったと思ってるの?」

とトゲのある言葉を吐く。

「きみと付き合わなかったらあたしはこうはならなかった」

 長い沈黙の後、

「ごめん…」

とかすれた彼の小さな謝罪の言葉ひとつ。

「もう電話してこないで」

と一方的に電話を切ったものの、自己嫌悪にまみれて頭が痛くなるほど泣き続けた。

 それから数年後に初診と違う病名がついた。

 投薬治療続けているうちに、気がついたら以前のような真逆の思考に苦しむことはなくなっていた。

 あの頃の心理状況は今となってみては自分でも不思議だったりする。

 なんであたしはあんなに違う自分になることにこだわっていたのだろう?

 今はメインの思考は一つで安定している。

 おそらく、自ら泥にまみれるという荒療治で「白の天使」でも「黒の悪魔」でもなく「グレーのあたし」としてあたしは生まれ変わったのだと思う。(Fin)

人気ブログランキングへ
☆人気ブログランキング携帯投票☆

「東京都青少年健全育成条例改正案情報☆現段階でのまとめ」

Posted on 2010/06/01 Tue. 09:39 [edit]

言えない言葉 

 ほんとは目覚めていた。
 
 彼がやって来た時も、帰って行く時も……
 
 いつからだろう?
 
 寝た振りしたままでいるようになったのは。
 
 最初の頃は、いつも起きて声をかけていた。

 だけど、

「こういうのって重たい女とか思われちゃったりするのかな?」

と疑問に思ったあたりから寝た振りするようになった。

 来た時には起きて出迎えても、帰りは寝た振りするようになった。

 見送りたくなかった。

 早朝、地下鉄の始発で彼がどこへ帰って行くのかは知っていたから…。

「帰っちゃうの?」

とは言えなかった。

「行かないで」

なんて言葉はもっと言えなかった。

 それでも、寝た振りしているあたしに気づかずに、すっかり習慣化してしまった伝言を書きつづっているボールペンが紙の上を走る音に軽い安堵を覚えた。

 何も言わず、何も伝言も残さず、黙って帰っていかれないだけまだまし。

 短いお手紙を書き残して帰って行く彼が部屋を出て行くまで寝た振りをしていたあたしは、彼が部屋を出て行ったらすぐに起き上がって、今書かれたばかりの短いお手紙を読んだ。

『寝てるみたいだから起こさないで帰ります。体に気をつけて。お酒飲み過ぎないようにね』

 残された短いメッセージは大切にファイル保存した。

 そんな風にファイリングされた彼からの短いお手紙はあたしの宝物で、眠れぬ夜は何度も何度も読み返していた。

「もう、帰っちゃうの?」

 そういうひとことすら言えないくせして、そばにいて欲しくてたまらないのに、全部は手に入らないもどかしさに唇噛みしめ、言えなかった言葉の代わりに頬を雫が転げ落ちていった。

 自分でもかわいげのない女だとは思う。

 それでも、困らせるだけ…と思うから言わない。

 損な性格。

 損な我慢の仕方。

 甘え方なんか知らない。

 誰かに甘えることなど遠慮して生きてきたから、どうやって甘えたらいいのかもわからない。

 同時に拒絶されるのが怖かったりもする。

 だから、本当に言いたいことなんか言えない。

 顔色読んで、声色読んで、雰囲気読んで、地雷は避けて……

 あたしの唇は、当たり障りのない優しい言葉を紡ぎだす。

 言えない言葉は、あなたを困らせる言葉。

 だから、あたしは言わない。

 たぶん、言ったもん勝ちなんだろうけど、あたしには言えない。

 喉の奥に詰まっていて、どうしても出てこないから……まるで喉に鍵が掛っているみたいだよ。(Fin)

喉の奥に掛った錠前

人気ブログランキングへ
☆人気ブログランキング携帯投票☆

「東京都青少年健全育成条例改正案情報☆現段階でのまとめ」

Posted on 2010/06/10 Thu. 23:01 [edit]

気になる手 

 私には中学生の時、片想いだったけど好きな男の子がいた。

 でも、好きな子とは別に気になる男の子もいた。

 正確に言うと気になる手を持った男の子。

 理科の実験で同じ班になった時に初めて気がついた。

 なんてきれいな手をしているんだろうって。

 白くて形の良い手は指もすらっと長く伸びていて爪の形もきれいだった。

 伸ばしていなくてもマニキュアが似合いそうな爪をしていた。

 なんだかその手に吸い寄せられるようにして視線が離せなかった。

 顔を見れば好きでもなんでもない男の子なのに私はその手に魅せられた。

 なんだかドキドキしながらあまり見過ぎないように気をつけながらも手を見ていた。

 ずっと見ていてヘンに思われるのはイヤだったから。

 それからは、意識してその男の子の手を見るようになっていた。

 ある日、その手で髪を撫でられた。

 当時長く伸ばしていた髪は、好きな人以外には触って欲しくなかったはずなのになぜかイヤじゃなかった。

 その手にならもっと触れて欲しかったかも……。

 好きな男の子じゃないのになんでだろう?

 わからないまま卒業して別々の高校へ行った。

 25歳の時、卒業して10年になるからって中学の同窓会が開かれた。

 10年振りの再会だったけど、なぜか私はもうその人の手に興味はなかった。

 左手の薬指に指輪はまっているのだけは、チラリと見たけどなんとも思わなかった。

 周りの人の話を聞いていて、その人は早くに結婚してもう子供が3人だか4人だかいるということを知った。

 その時、なんとなくわかった。

 中学生の私はただきれいと感じて見ているだけだったけれども、あの手は女がおもわず触れて欲しくなるような手だったんだ……と。

 髪を撫でられた時、イヤじゃなかったしもっと触れて欲しかった理由がやっとわかった。

 でも、私はもうあの手に触れて欲しいとは思わなかった。

 私がその時一番触れて欲しかったのは、きれいじゃないけど私の薬指と同じサイズの小指を持つ彼氏の手だったから。(Fin)

人気ブログランキングへ
☆人気ブログランキング携帯投票☆

「東京都青少年健全育成条例改正案情報☆現段階でのまとめ」


☆PCからの菊池乱の電子書籍「女心のガイドブック」のダウンロードは以下をご利用下さい☆
『楽天ダウンロード』『PDA book』『ウェブの書斎』
★携帯からは『どこでも読書』からダウンロードしてお読みになって下さい。著者名で探す「菊池乱」で検索すればみつかります。

Posted on 2010/06/29 Tue. 16:56 [edit]

更新の励みになりますのでぽちっとひと押し応援クリックお願い致します❤ 人気ブログランキングへ にほんブログ村 小説ブログ 長編小説へ
にほんブログ村 トラコミュ 規制反対!ネット小説の表現の自由を守れ!へ
規制反対!ネット小説の表現の自由を守れ!
規制反対!創作物の表現の自由を守ろう!!

規制反対!創作物の表現の自由を守ろう!!

[Amebaグルっぽ]
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。